全国町並み保存連盟:〒112-0002 東京都文京区小石川5−3−4 ラ・ヴェリエール文京6階 まちづくりカンパニー・シープネットワーク内

The Japanese Association for MACHI-NAMI Conservation and Regeneration

c/o Machidukuri Company Sheep Network, La Verriere 601, Koishikawa 5-3-4, Bunkyo-ku, Tokyo, Japan

T: 03-6240-0321, F: 03-5802-7473, M: matinami@pop02.odn.ne.jp

函館の歴史的風土を守る会

January 03, 2018

設立年 1978年4月

会員数 70名

代表者 会長  佐々木 馨

住所 〒040-0001 北海道函館市五稜郭町43-9五稜郭タワー㈱内(担当:野寺)

電話 0138-51-4785

http://www.hakodate-rekifukai.com

◉2016-17活動状況

・第39回函館の町並みを美しくする新春チャリティパーティ

・第34回歴風文化賞贈呈式

・第14回小・中・高校生による「ふるさと写真コンクール」

・見学会 函館山要塞見学会

・函館市建設部都市デザイン課主催「みて・聴いて・考える町並み」の実施 

 

◉2015-16の活動

​・第38回函館の町並みを美しくする新春チャリティパーティ

・第33回歴風文化賞贈呈式

・第13回小・中・高校生による「ふるさと写真コンクール」

・見学会 戸井・恵山地区見学会

・函館市建設部都市デザイン課主催「みて・聴いて・考える町並み」の実施 

盛岡まち並み塾

August 31, 2016

設立年 2003年12月    

会員数 80名

代表者 代表世話人 村井 軍一

住所 〒020-0015 盛岡市鉈屋町8-15

電話  019-624-2466

E-mail  dojin@ictnet.ne.jp

http://machijuku.org/

 

2010年(平成22年)に開催した第33回全国町並みゼミ盛岡大会の第6分科会で話題になった盛岡バスセンターが、今年9月末に閉鎖、年内に取り壊されることが発表された。盛岡バスセンターは、1960年(昭和35年)に自動車ターミナル法適用第1号として建設され、一日に250本のバスが発着していたが、運営する株式会社盛岡バスセンターが運営終了を決めた。これを受けて盛岡市は、盛岡の公共交通の要であるバスターミナル機能を維持するため、株式会社盛岡バスセンターによる建物の解体の後、盛岡市が土地を取得し、新たな複合施設を建設することを発表した。

市民に長く愛されてきた盛岡バスセンターの建物をまちの記憶として保存継承しようと「盛岡バスセンターから考える会」を結成し、7月3日にはシンポジウム「解体、ちょっと待って!盛岡バスセンター」を開催、盛岡大会第6分科会のコーディネーターだった全国町並み保存連盟の福川裕一理事長も登壇した。保存は難しい状況だが、あきらめないで、盛岡バスセンターを核としたまちづくりの提言を続けていく

美しい角館を守る会

August 31, 2016

設立年 1978年10月        

会員数 14名

代表者 代表 佐越 昇

住所 〒014-0321 秋田県仙北市角館町西勝楽町11 佐越方

電話 0187-55-1361

 

◉2015-2016の活動

1978年の第20回全国町並みゼミ村上大会において「町並み町長第1号」の愛称をいただいた高橋雄七さんが2月25日に間質性肺炎にて亡くなられました。

 2012年8月に病気となり、2か月の入院後、自宅静養は要介護4から5の状態でしたが、担当医師からこの病気では見本となる回復と喜ばれるほどで、外出も一人でできるまでになりました。が、3年半のちに帰らぬ人になりました。

 1981年、町の中央にある田町山を削り取り、統合中学校建設という角館町(当時)の計画に反対し、「美しい角館を守る会」を結成し、全国町並み保存連盟に加盟し、住民運動を展開された方でした。その後、1989年から角館町長を3期務め、町の発展はもちろんのこと、文化財保護、大好きな角館のお祭りを国の「重要無形民俗文化財」とするなど大きな功績を残されました。退任後は母校東北大学、大学院で歴史をさらに学ばれながら、全国町並み保存連盟の副理事長を務め、また町の文化財保護会長として文化財の保護に尽力されました。偲ぶ会をと考えていますが、今少しお時間をください。

 史覺院雄山治道居士 享年77歳 合掌

会津復古会

January 03, 2017

設立年 1971年9月     

会員数 13名

代表者 肝煎 山田 悦史

住所 〒965-0873 福島県会津若松市追手町4-18 会津葵気付

電話 0242-26-5555

E-mail  qzc11065@nifty.com

http://www.aizu.com/org/aizu/

​◉2015-17の活動

會津復古會は「眞、善、美」あくまで本物の美を追究する。したがって建造物について「木と土と漆喰白壁と石と煉瓦」までを重視し「江戸、明治、大正、昭和初期」までの店舗づくりをする。古い農家、民家が壊される際には、これらを取得して素材を店づくりに生かす。それが復古會方式である。近代的なもの例えば、新建材ボードなど壁面などの内装材、蛍光灯などの照明機材を取り払い、美しく絵になるカメラの被写体となるように徹底復元したのである。これは「ならぬものはなりませぬ」頑固一徹な会津っぽの素朴な演出でした。本物徹底こそ感動を伝達する地方文化なのだと私どもは考えた。古い味のある素材の再利用、リバイバル、リサイクルのこれこそ基本である。旅は未知との遭遇で、他所にはないものが宝なのである。

 復元、修景された名門老舗「鈴木屋利兵衛、竹藤、會津葵、えびや、田季野」の5店舗がこの一之町界隈にあり、一之町は會津復古會誕生の地であり、400年前天正年間会津に移封されて自由売り買い市として、町方に開放された。「楽市楽座」発生の地、これが会津商人の出発点でありました。

 會津復古會は古きよきものを守り、その心をこれからも伝えていきたい。

また、風俗、習慣、年中行事、芸能伝統産業、民芸品、食味など生活文化の掘り起こし、奉仕の精神に基づき、行政からの補助金に頼ることなく、ボランティア活動のさきがけとなる運動を展開している。

(写真は、JRデスティネーション・キャンペーンのポスターに取り上げられた竹藤)

大内宿保存会

August 31, 2016

5 大内宿保存会

設立年 1981年4月

会員数 48名

会長  佐藤一夫

〒969-5207 福島県南会津郡下郷町大字大内字山本5番地

電話・FAX 0241-68-2914(会長宅)



◆大内宿の誕生

大内宿の誕生は1647年に、会津初代藩祖「保科   正之公」が「諸宿駅」を定めて整備されたものです。 保科正之公は二代将軍徳川秀忠の4男「庶子」と

して生まれ、見性院「武田信玄の娘」に育てられその縁で信濃高遠藩に保科正光の子として養育されます。秀忠の亡きあと三代将軍家光「異母兄」は謹直で有能な異母弟をことのほか可愛がった。のちに出羽山形藩主「20万石」を拝領し1643年、陸奥会津 藩主として大身の大名にひきたてられます。熱烈な朱子学者で山崎闇斎の影響を強く受けて「神儒一致」 を唱え、身分制の固定化をし、幕藩体制の強化に努め四代将軍の輔佐役(大政参与)として幕閣の重きをなしました。

江戸の町づくりでは玉川上水の開削者となり江戸市民の飲料水を安定確保しました。明暦3年の大火後今後の大規模火災対策として主要道路の道幅を6 間から9間に拡幅しました。また、火除け空き地として上野に広小路を設憤し江戸の防災性を向上させ ています。

 これらの功績は藩祖後のことではありますが人物 像として資質を確認できるものです。

保科正之公がこのような人物であることからいっ て「大内宿の整備」に大きな影響を与えたことは容 易に想像できます。

◆神社を中心とした構造

町並みの中央に鳥居「第一の鳥居」を構え西方に第二•第三の鳥居を構えての本殿「鎮守の森」が設憤されています。

 更に鎮守の森の周りを回した山水を宿場(集落) の最上部まで運び両側の水路「生活用水」へ分水し ております。これは神水としてお清めしたものと考 えられます。

藩政時代初期に道路を中央に両側に立ち並ぶ民家

 「地割された」から殿さまが通る街道を見下ろすことができる妻側開放はかなり珍しい形です。1 80年の高倉以仁王の伝説に基づいた「高倉神社」の祀り方、すなわち「渡御」ができる町並みづくりが基本になってます。まさに信仰を据えた町づくりのスペシャリストだったと考えられます。

これが大内宿の誕生であり、類に見ない江戸宿場 の形かと思われます。

◆伝建地区の指定を契機に甦る

やがて藩政時代が終焉しました。明治17年、時の福島県令「三島通庸」の道路政策「会津三方道路」 の整備完成で廃道化され、それまでの役割「宿場」を終えました。

それからは会津地方の山間僻地で寒冷地を伴う村 は原始社会に前戻るような厳しい生活へとなっていきました。そんな貧しく苦しい時代が10 年近く続いたのです。

次に近代社会から取り残された村に「大転換する」 機会が到来します。昭和42年、美大の学生だった相沢詔男氏が茅手調査の旅で大内集落に入った事が

「機」なったのです。

 世の中に報道を通して「幻の村の発見」という衝撃を与え、「それまで静かに沈む村」がスクープさ れ村人たちにとっても大きな動揺が起きました。

 「将来への変わる夢」と「新たな拘束に危惧する 不安」とに分かれ、保存賛成だ、反対だ、と村が二 分化されるまでになっていきました。

保存に反対する者は急いで茅葺屋根をトタンで覆い、近代文明の証しである「アルミサッシ」を取り 入れました。

 村人は大いにもつれ喧々誇々の中で遂に、保存することをあきらめ「区総会」にて「保存しない事を 決議」してしまいました。

その決議を持って反対する人の中には建て替えや改修工事をする正当性が生まれ、改修が加速されて いきました。

 数年後、再度・保存への機運が高まることになり、 遂に昭利56年4月に、国の選定「重要伝統的建造物群」保存地区を受けたのです。昭利42年の発見から14年間の激しい変化を経験しました。

ここまで、辛抱強い緻密な調査と繰り返す説得と行政の努力とには改めて感謝の念を抱かねばなりま せん。

 指定を受けた時点では「まだら模様」の町並みとなってしまったのもその経緯で説明でき、ご理解を いただければ幸いです。

 そんなこんなをしているうちに観光客は年々増え続けることが顕著になり、村人も徐々に競うように 観光客を受け入れ始めます。

 村には民宿ができ、土産屋ができ、食堂が増え続け、数年には村の形相が大きく変わっていきました。 追い打ちをかけたのは中央のマスメディアで、自治体も観光を取り入れようと準備に環境整備を始めました。賛成反対の「しこり」は過去の間題に化し、今日の「大内宿」になったということです。

 一度近代化に改修した建物は徐々に復元化されアルミサッシも取り除かれてトタン屋根も茅屋根に戻 りつつあります。訪れる観光客の入込客数増加に邁 進する今日の大内宿であります。

 

◆課題

しかし、喜ばしい事ばかりではなく「影」も同居 していることが感じる今日になってきております。

50軒の集落に高齢化が忍び寄り、夜間には無人の家・高齢者一人斡らしの家・高齢者二人斡らしの家が15軒、30%の家が後継者との同居を許しておりません。勿論事情は様々ですが、この間題に今直面 し、よくよく考えなければならないことは、誰のた めに何のために残すのか、そのことが明日の家族に とってどう豊かさを享受させるのかを再度整理して 共有したいと思います。

 また、忘れてはならない大切なことに「みんなと 同じくできない家の事情」を抱えている人がいる事 への心配りこそが求められております。

 「保存と活用」を通して「経済活動とこころのあ り方」一人一人の幸福感までもがどうあるべきかを 考えさせられております。

保存と活用に傾注して35年経った今日においての大内宿の課題として、50軒の村「大内宿」は大内区長を先頭に組織化され保存活動に保存会を組織し、活用に観光協会を置き、消防組織、青年会組織、 婦人会組織等々、役割分担をし重複するもやりこなし自分たちで考え、自分たちで行動する村が大内宿でもあります。

 自治体「下郷町」、「福島県」の指導、協力を得て 古い文化を明日の未来に向かって「守るもの、変え るもの、挑むもの」メリハリのある生き方を実践し ていきたいと思います。

第39回全国町並みゼミが私どもの地で開催をさせていただけるわけですが、是非皆様方におかれま しては美しい町並み保存と活用へのご提案・ご指導 を頂戴できれば大変うれしく、また開催地としての 有意義を覚えるものと確信いたします。

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