今年もやっぱりHUL:新潟・萬代橋周辺の景観を考える活動に参加して考えたこと
更新日:2023年1月21日
2022年は、1月23日の「第5回HUL連続シンポジウム:金沢の取り組みから、歴史的環境の今を考える」で始まった。そして6月の第45回全国町並みゼミ新潟市大会に続き、九州・沖縄(5.15、8.28、11.27)、中国・四国(内子、7.24)、関東(入間、11.19)、東海(有松、11.26)、備中(井原、12.17)と、各地でブロックゼミ、ブロック会議または地域ゼミが開催された。12月4日には、香川県東かがわ市引田で理事会を開催、その前日にまち歩きの後、風まちネットのみなさんとの交流会が開催され、有意義な経験交流の場となった(各地で開催される理事会は、かつてミニ町並みゼミの役割も果たしていた)。コロナ禍の自粛を経てリアルな活動に取り組めるようになったことは本当にうれしい。
こうしてこの一年を振り返ると、やはり新潟市ゼミの存在が大きい。その新潟市ゼミの意味を、ゼミ2日目に行われた開会式で次のように述べた。少し長いが引用をお許しいただきたい。
*報告書は、新潟まち遺産の会のホームページからダウンロードできます
第45回全国町並みゼミ新潟市大会へようこそ。今回の新潟市大会は、45年に及ぶ町並みゼミの歴史の中でも、時宜にかない、画期になった大会として記憶にとどめられると思います。開会の挨拶でこのような「成功」を断言できるのは、開会式が2日目で、メインのイベントは昨日中に終わりそれが大きな成果をあげたからです。大きな成果とは、新潟市という人口80万人を擁する現代屈指の大都市を舞台に、まち全体を歴史的環境としてとらえ、歴史まちづくりの場としてとらえることができたことです。
新潟はこれまで、重要伝統的建造物群保存地区に代表されるいわゆる「歴史的町並み」がある都市として、必ずしも認識されていませんでした。もちろん、新潟に重伝建地区になりうる地区がないということではありません。私はその候補になる場所はいくつかあるとおもいます。しかし、新潟では、従来型の歴史的町並みをいう概念を超えて、それより遥かに広がる新潟という歴史都市全体を舞台に、新潟まち遺産の会をはじめ、たくさんの市民活動が取り組まれ、成果を上げつつあります。昨日、私たち参加者は6地区にわかれて、それぞれの活動している市民団体の方々の運営のもとで行われた分科会に参加し、成果を学び、充実した討論を行うことができました。同様の活動に取り組む、全国の運動と経験の交流をすることができました。
実は、従来型の歴史的町並み地区でも、重要伝統的建造物群保存地区に指定されているのは歴史都市全体のほんの一部であって、その周辺の歴史的環境をいかに守るかということが大きなテーマとなっています。全国には、重要伝統的建造物群保存地区に選定された地区がないけれど、歴史的都市であって、それにふさわしいまちづくりを工夫する必要がある都市がたくさんあります。いろいろな事情で伝統的建造物群保存地区の制度の活用に踏み切れなかった歴史的都市もたくさんあります。さらに、21世紀以降は「歴史的」という言葉の範囲に近現代史も視野に入るようになりました。日本の近現代史を彩ってきた新潟はこの点でも絶好の舞台です。
このような「歴史まちづくり」に取り組むため、この間私たち全国町並み保存連盟では、ユネスコが2011年に勧告したHUL(歴史的都市環境)という考え方について学んできました。今回の町並みゼミのテーマ「市⺠の活動でつなげる歴史まちづくり:みなとまち新潟から考える」は、まさにそれと軌を一にするものです。
新潟市ゼミは、開会式に続く全体会ののち「本ゼミは、歴史をたどり、市民が連携し、あらんかぎりの想像力で遺された歴史遺産を活かし、次の時代を切り開くという歴史まちづくりのあり方を描き出す画期的な成果をあげた」とする「新潟歴史まちづくり宣言」、および「萬代橋周辺の景観についての決議」「都市部の長屋路地、歴史的環境保全を支援する宣言」を採択して閉会、午後の「にいがた美しいまちなみフォーラム2022」へバトンタッチした。
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その新潟で「萬代橋周辺の景観についての決議」の実現を求める活動が続いている。HULへのがっぷり四つの取り組みとも言うべき、この活動を通して確認されたことは、この問題が、町並み保存の根拠のひとつ、都市における建築のあり方という基本テーマと本質的に関わっているということである。それを見抜いた大倉実行委員長の発案で、私も「萬代橋の景観を考える」勉強会で、3回にわたり以下のタイトルで話をさせていただいた。
①タワーズ・イン・スぺース型と町並み型のまちづくり(8.19) ②町並み型まちづくりによるまちなか再生(9.17) ③町並み型まちづくりと運営(12.26)
「萬代橋周辺の景観についての決議」は、新潟市が、新潟市景観審議会に対し、2007年に定めた信濃川の川岸から100メートルの区域(「特別区域:信濃川本川大橋下流沿岸地区」という)に建つ建築物等を50メートル以下とする高さ制限を、足元に空地や緑地を設けたタワーにすることで緩和するという提案を行っていることに対するものである。ゼミ1日目夜の交流会で、大倉さんから提起された「萬代橋の景観について報告と決議アピール」に基づいて採択された。
新潟市では、2018年から新潟駅から三越のあった古町まで、真ん中に信濃川と重要文化財・萬代橋を挟んだ区間を「にいがた2km」と名づけ、中心市街地の背骨を再生するプロジェクトに取り組んでいる。2022年5月にはメインストリートの両側300〜400mと万代島を都市再生緊急整備地域に指定、ディベロッパーが既存の土地利用規制とは別のルールを設けて開発することを可能にする「特区」を提案できる体制を整えた。信濃川沿岸の高さ規制緩和も、この「にいがた2km」の一環で、最初は7kmにおよぶ特別区域全域が対象と考えられていたが、現在は都市再生緊急整備地域内に範囲を縮小、高さを川幅に応じて75〜100m(信濃川の川幅/4)に緩和するという案が提示されている(万代島では200m)。
この措置じたいでは容積率の割増はない。では、なぜ高さ規制の緩和か? 2021年2月の景観審議会資料は、信濃川沿岸の景観の現状について、「「長大な壁を避ける」(努力規定)があるものの川に対して横幅が長い建物が建築される」という問題を指摘(資料19)している。そして、特別区域の方針「開放感のある景観づくり」を進めるためには、①高さ規制を緩め建物のタワー化を誘導することで、建物間の隙間を作るのがよい、②その方法として、敷地内に空地や緑地を設けることと引き換えに、高さ規制を緩める制度を導入する、という案を示した。
とてもわかりやすい説明だ。しかし、ちょっと立ち止まって考えてみる。
まず①について。適切な高さのそろった建物が並ぶことはそう悪いことではない。実際、現行の景観計画ではスカイラインの連続がうたわれている。対して、孤立したタワーが、信濃川の広い空へのスカイスクレーパー(空をこするもの)として建ち並ぶ姿が、はたして「開放感のある景観づくり」に寄与するかどうか、しっかりした議論が必要だ。橋詰めにあるホテルオークラは、15階の高層棟を萬代橋からセットバックさせ、橋の袂にすっぽりおさまっている。これをタワーに変えると、萬代橋の優越性が失われ、特別区域のもう一つの方針「万代橋をいかした景観づくり」が壊れてしまうのではないか?
萬代橋周辺の景観は、「にいがた2km」の魅力を格段に高め、成功に導くための最重要の要素だ。その景観を守るためには、萬代橋の優越という原則は崩せない一線ではないか?
②については、現行のゾーニングでも、容積率が600%なので、高さ50mの建物を建てると(全フロアが同じ面積の14階建の場合)、敷地の57%が空地になる。容積にカウントしない床を考慮に入れても敷地の約半分は空地にしなければならない。しかし、こうして生まれる空地は、ほとんどが駐車場になり、孤立した建物と建物との間には殺伐とした空間が広がる。タワー化によってそれがさらに広がるとしたら、まちづくりにとって決してプラスにならないのではないか?
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実は、ここに見られるような、「高層化とオープンスペース」という手法に伴う問題は、長年にわたり論争の的となってきた。「萬代橋の景観を考える」1回目の勉強会「タワーズ・イン・スぺース型と町並み型のまちづくり」は、この都市像の起源とそれへの批判を振り返り、代替案として「町並み型」を対置することをテーマとした。
建物を高層化し広大なオープンスペースを生み出すという都市像は、1920年代にル・コルビュジエが描き出し、世界中へ広まり「タワーズ・イン・スペース」と呼ばれるようになった。「水平過密都市から垂直田園都市へ」というスローガンには、今なおディベロッパーを中心に信奉者が少なくない。勉強会では、この都市像に対する、L.マンフォード、J.ジェイコブス、チャールズ皇太子(当時)、C.アレキサンダー、R.ロジャースが議長をつとめたタスクフォースの「アーバンルネサンスをめざして」という報告書、日本の建築家・大谷幸夫、香山壽夫などによる批判や対案を紹介した。批判者たちがそろって指摘するのは、高層化によって生み出されるオープンスペースが、人々の感性や人と人の関係、コミュニティを支えないどころか、壊すこさえあるということである。私たちは、そのことを経験でも学んできた。
1961年、ニューヨーク市は、コルビュジエのモデルに従い、建物の形態を高さや壁の位置などではなく容積率でコントロールし、敷地に広場を確保する代わりに容積率の割り増しを認めるゾーニング条例改正を行なった。しかし、次々と作り出される広場が、町並みを壊し通りの賑わいを奪う、数値合わせだけで真に快適で使われる広場ができない、などの問題を引き起こし、広場の要件が強化され、むしろ町並みをつくることが推奨されるようになった。テラスハウスが町並みを形成している地区では、オープンスペースは少なくても(建蔽率が高くても)、壁面や庭の位置、高さなど形を重視するルールが導入された(コンテクスチュアル(文脈)・ゾーニングと呼ばれる)。
「タワーズ・イン・スペース型」に対する「町並み型」は、建物が相互につながり、心地の良い広場、コミュニティの軸となる街路、落ち着いた中庭など、一連の「正の外部空間」を作り出す「都市をつくる建築」である。「正の外部空間Positive Outdoor Space」の意味は、外部空間が、建物と建物の隙間のような負Negativeの空間ではなく、人々の都市生活の場として積極的な役割を果たす場所を作り出しているという意味である。町家と、その町家によって形成される町並みが典型であり、時代・文化を超えて作り続けられ、あらゆる都市のHULに見出される。新潟も例外ではない。古今東西の「町並み型」が示唆するのは、都市のあらゆる空地は、人々の感性に訴え、人と人との適切なコミュニケーションの場所となるように設らえられる必要があること、そのためには、①適切な大きさ(広すぎてはならない)と、②囲まれていること(ただし囲み方が重要)の二点が必須条件となるということだ。
新潟市も、ゼミ前後の景観審議会で、高さが50mを超える場合の条件を、単純な空地の確保ではなく、「人々の交流を促すためのオープンスペースを設けるよう努める」、緑比率を[高さ/500+0.05]とする(高さ100mなら25%、屋上緑化もOK)、などとすることを提案している。現行の景観形成基準が、空地の位置や使い方について特に積極的に基準を設けていなかったことに比べれば大きな前進だ。ならばこの基準は、少なくとも都市再生緊急整備地域内では、高さに関係なく課せられるべきだろう。
2回目と3回目の勉強会では、「町並み型」の意味をくり返し確認しつつ、それをどのように実現するかを、川越一番街、高松丸亀町商店街、石巻まちなかの事例で紹介した。これら3地区では、「町並み型」が受け継ぐべき遺伝子を、アレキサンダーのパタン・ランゲージに倣ったデザインコード(川越では「町づくり規範」)として表現し、建物の新築、改築、修復などで実践している。川越一番街のように敷地所有者と建築主が一致している場合は、個々の建築主がそれを実行していく。複数の敷地に共同でより大きな建物を建てることが必要な場合は、町づくり会社などコミュニティに根差したディベロッパーをつくり実践していく。一般的なディベロッパーは「タワーズ・イン・スぺース型」しか念頭にないから、「町並み型」は、それを志す市民や住民の主導で作っていく。その際、ぜひ特区を、市民ディベロッパーが適切な開発を行うことに活用したい。特区は、一般的なディベロッパーが大規模な開発を可能にするためだけの制度ではない。
3回目では、大倉さんが、「町並み型」の原理を萬代橋周辺に敷衍した「萬代橋とやすらぎ堤周辺のデザインコード」を発表された。
萬代橋の優越
基底面としての土手
橋と水辺を眺める場所
やすらぎ堤との連続
スケールのグラデーション
生きた空地
風からの守り
読んでいくと、萬代橋周辺にあるべき建物の姿が浮かび上がっていく。市の提案する景観形成基準案と共通するものもあるが、「スケールのグラデーション」や「生きた空地」など表現の仕方がだいぶ異なるのには理由がある。景観のルールというと、景観形成基準のうち、数値で表現できる項目だけがひとり歩きをはじめ、質に関する基準は看過されがちなことは、新潟市も指摘している通りである。そうならないためには、基準(規準と言ったほうが良い)は、抽象的ではなく、空間を具体的に描きだせる的確な言葉で表現するのが良い。それを、みんなで共有していく。大倉さんの提案が、その出発点となることを願う。
*このデザインコードについて、全国町並み保存連盟のフェイスブックで、大倉さんご自身による解説が始まっています。ぜひご覧くださいhttps://www.facebook.com/machinamirenmei/
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萬代橋周辺に限らず、景観のコントロールには、どう見えるかだけでなく、人々の感情に応え、それを鼓舞し、人と人の関係、人と社会の関係を支える場所をつくっていくという目的も含まれる必要がある。景観は、人間が土地の上に展開してきた活動の集大成である。まちづくりに即して言えば、景観はまちづくりの出発点であり、結果である。私たちは、景観から、都市に起きているさまざまな課題を読み取り、その解決に向けて努力する。その結果が、より優れた景観へつながっていく。
こうした努力の結果は、歴史的な建築や都市空間と共通の形や質をもったものになるだろう。もしそこにすでに歴史的環境(HUL)があるならば、私たちは、その特質を把握し、レスペクトし、そこから学び、実践に活かす努力を続けなければならない。
大倉さんとのやりとりの中で教えていただいた、YouTubeにアップされているアレキサンダーの講演にとても興味深い一節があった。
*Christopher Alexander lecture 1988
埼玉県入間市にある、アレキサンダーが設計した盈進学園東野高校開校3年目の1988年に行われた講演会のビデオである。同氏は、このキャンパスを訪れた多くの人が、歴史的な雰囲気を感じると感想をもらすことに関して、「あなたがここで見るすべての建物とその形とその特徴は、歴史的建物に似せようとする試みから来たものではありません」と断言した上で、「人々はこれらの建物を見ると、以前に見た何か古いものを思い出すと言います。 歴史的な建物は常に人間の感情を尊重して作られているため、そのことはよく理解できます。このキャンパスも歴史的建物も同じ種類の形と性質を持っています。」と述べ、次のように結んだ。
それはもっとはっきり言えば、21世紀の建物の特徴です。人間社会がその優先順位を再調整して、実際の人間の感覚が常に主要な欲求となるようにすることに成功した場合、21世紀の建物は新宿のようではなく、これらのようになります。
そう、町並み保存は21世紀の都市を作ることなのである。そして町並み保存は、狭い保存区域の中だけでなく、HUL(歴史的都市環境)をふまえた歴史まちづくりに展開する必要がある。「HUL連続シンポジウム」は、昨年1月の5回目で一段落しているが、新潟市ゼミとそれに続く萬代橋周辺の環境をめぐる活動は、その成果をためされる場となった。
私たちのテーマは、今年もやっぱり(そして多分来年以降も)「HUL」である。それは、重伝建地区はじめ、歴史的環境について私たちが積み上げてきた成果を守り、活かすためにも不可欠な取り組みである。
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