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  • 稲葉佳子

師に導かれて今日の我あり

2月24日土曜日、陣内秀信法政大学教授の最終講義が法政大学市ヶ谷校舎で行われた。さすが陣内先生、800人収容の階段教室になお立見の人も多数という盛況だった。講義では、イタリア留学以来の軌跡を振り返り、[建築類計画→空間人類学→エコヒストリー/水都学]と総括された。陣内学派はブラタモリにも出演多数で、「ご研究の内容は?」と問われると「ブラタモリのようなことをやっています」というとすぐわかってもらえると笑いをさそった。陣内さんは、第一回有松・足助ゼミにも参加されており、第五回東京ゼミでの「東京レポート」が天声人語にとりあげるなど、全国町並み連盟との関わりも深い。今回は、お弟子さんの稲葉佳子さんが記念誌『都市への羅針盤:陣内研究室41年の記録』に寄せた文章を、同氏の了解を得て掲載する。稲葉さんは、臼杵藩の藩祖・稲葉氏の末裔。書かれている通り、その後東京のエスニックタウンの研究に取り組み、近著『台湾人の歌舞伎町:新宿、もうひとつの戦後史』(紀伊国屋書店)が評判だ(福川裕一)

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 「東京のまち研究会」で、山の手を歩き回ったのは40年も前のことであるが、陣内先生とのご縁は今も続いている。私はこの間に、大切なことを学ばせていただいた。第一に仲間をつくること。第二に自分の直感力を信じれば、時代は後から追いついてくるということ。その原点は、もちろん「東京のまち研究会」にあるが、陣内先生に引き込まれた「全国町並み保存連盟」の影響も大きい。

 全国町並み保存連盟は、高度経済成長期が終焉した1970年代に生まれた。発展=開発という時代が終わり、当事者である地域の人びとが何となく感じていた違和感、それが声になり生まれた運動だったと思う。第1回有松・足助ゼミ(1978年)に始まり、近江八幡、小樽、琴平と、1年に1回、行政・住民・研究者が参集して「全国町並みゼミ」が開催された。その第5回ゼミが東京に決まると、さっそく東京事務局が発足した。大御所の石川忠臣さん、木原啓吉さん、宮丸吉衛さんらを中心に、若手研究者が実質的なリーダーになった。その筆頭が、陣内先生はじめ西村幸夫さん(現・東大教授)と福川裕一さん(現・千葉大名誉教授)である。私も含めて若者たちは大いに盛りあがった。

 この会合と飲み会を通して、私は多彩な方々と知り合う機会を得た。この頃、すでに都市計画事務所に就職していたが、平日の昼間は仕事、夜や土日はもっぱら活動の日々だった。目標や理念を共有する仲間と過ごす楽しさは、何ものにも代え難かった。

 仕事と活動という二足の草鞋が私には合っていた。30代半ばで独立するにあたり、今度は自分で仲間を集めた。それが、新宿区大久保で外国人居住の研究に取り組んだ「まち居住研究会」である。活動を始めた頃の大久保は、少し外国人の多い程度の普通のまちだった。偉い先生からは「大久保?」「外国人?」「そんな調査にどんな意味があるの?」とまったく相手にされなかったが、陣内先生だけは最初から「素晴らしい。とても大切な研究だ」と応援してくださった。その励ましに力付けられ、外国人居住と同時に大久保の変化を10年以上にわたって克明に記録し続けた。

 陣内先生は、『20世紀の定義[9]環境と人間』(岩波書店、2000年)のなかで、J・ジェイコブス『アメリカ大都市の死と生』等とともに、まち居住研究会の『外国人居住と変貌する街』(学芸出版社、1994年)を紹介し、「高齢化、少子化が進む日本の都市社会においては、労働人口を補う意味でも、こうした国際化、多民族化は不可避的に進むものと思われる。彼女たちの大久保のエスニックタウンの研究は、日本の今後の都市のあり方を考える上でも、大きな意味をもっている」と評価してくださった。

 大久保は、一時は韓流ブームに翻弄されたが、多国籍化・多文化化がさらに進み、今も移民社会の最前線を走り続けている。まさに時代が後から追いついてきたのだ。陣内先生は、この研究の将来性・重要性をいち早く予見していたのである。

 そして、これらの活動を通して出会った仲間とは、今も固い絆で結ばれている。まさに師に導かれて今日の自分があることに感謝している。

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