小樽・朝里のまちづくりの会
February 03, 2020
設立年 1999年5月
会員数 100名
代表者 永井邦雄(代表)
連絡先 〒047-0152小樽市新光4-1-16北海道新聞中販売所気付
TEL: 0134-51-2121
Mail: info@asari.cc
URL: https://asari.cc/press/
◉2019
「小樽・朝里のまちづくりの会」は今年創立20周年を迎えました。
私たちが活動する朝里地区は古くはアイヌの皆さんが暮らし、近代にはニシン漁で栄えた地域ではありますが、残念ながら歴史的町並み等は残っていません。そのような地で当会はこの地域の特色である豊かな自然を生かしたまちづくりを進めています。
例えば、植樹桝の花植え活動や朝里川遊歩道桜並木づくり事業、花火大会、親子マラソン、雪まつりなど様々な活動を、朝里川遊歩道と道道1号線沿いを中心にした景観作りと各種イベントを季節ごとに行っています。
1999年の設立当初より会則等に縛られない自由さを信条とした市民運動グループとしてスタートしたこともあり、歴史調査をする「朝里遺産部会」、花植活動をする「花部会」、各種イベントを企画運営する「イベント部会」等、会員は自由に部を選んでその活動に参加しており、現在会員数およそ100名になります。また、地域町内会、高齢者団体、各事業所や小中学校、高校等との協力連携が活動の推進力となり、また次世代への継承となっている点は大きな意義があると考えています。
20年間の活動を通し、この地域に住む人たちが自分のまちは自然豊かで楽しいイベントもあり、子どもたちの元気な声が聞こえる住みよいまちだという希望と誇りを持って生活できているとすれば幸いです。
このような活動がまちの景観づくりに寄与していることが認められ、今年度「小樽市都市景観賞」を受賞しました。
また、今年は特に小樽市中心部に残る近代銀行建物群の保存運動に取り組むこととしましたが、本年度の「全国町並み保存連盟総会」を当市で開催いただいたのを機に神戸芸術工科大学教授の西村幸夫氏、福岡県八女市の北島力氏をはじめ会員の皆様のご協力のもと旧三井銀行小樽支店を会場に「小樽100年プロジェクト・セミナー」を開催、これを機に市も大きく保存活用にかじを切る端緒となりました。これもひとえに全国町並み保存連盟の皆様の後押しの賜物とこの場を借りて感謝申し上げます。
◉2018
小樽運河をはじめ数百棟の歴史的建造物が現存する北の観光地・小樽。その小樽の東部に朝里地域は位置しています。しかし、文化財や歴史的建造物が1件もありません。
朝里のまちづくりの会は、周辺人口2万人ほどの地域を中心に活動しています。歴史遺産はありませんが、豊かな自然(海、山、川、温泉、スキー場)に恵まれ、病院や老人保健施設が多く都市機能が充実しています。
会は結成19年目となり会員数も100名となり活発に活動しています。活動の中心は①花いっぱい運動、②朝里川桜並木事業、③地域活性化イベント事業(夏の朝里川花火大会、秋の朝里川あじさいマラソン大会、冬の朝里十字街雪まつり)の3本柱となっています。
今年で19回目となった朝里川花火大会は2,200発を打ち上げ、来場者も6千人をこえ大盛況となりました。またこのイベントの売店売り上げの収益金を1年間の活動資金(2百万円強)として、独立採算で自立した活動を展開しています。
行政に頼らない住民の力での地域まちづくり活動を大きくしていきたいと会員一同、知恵と体力を出し合って進んでいます。
小樽運河新世紀フォーラム
April 26, 2023
設立年 2020年9月
会員数 約20名
代表者 中一夫
連絡先 〒047-0021小樽市入船5-24-2
私たちの「小樽運河新世紀フォーラム」は2021年8月3日~8月22日に開催された「峯山冨美没後10年企画展…小樽運河保存運動の母が遺したモノ、伝えたかったコト-私は運河を守れなかった-」を開催するために2019年秋に結成した団体です。
主要メンバーは、1975年頃から小樽運河保存運動にかかわりポートフェスティバルや署名活動にかかわってきたメンバーで、コンセプトは、忘れかけられている「運河保存運動とはどういうことだったのか?」を峯山冨美さんの温かな人柄を振り返りながら、当時の膨大な掲載記事や資料を閲覧できるように事実だけを展示して、それぞれに考えていただく機会を持っていただこうとした企画展でした。
目的は、
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小樽運河保存運動の中心にいた峯山冨美の活動の記録を通して、小樽運河保存運動を正確に後世に伝える場とする
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峯山が生涯を通じて伝えてきた「自分のまちを愛しなさい」「まちに誇りをもって生きなさい」「自分のできる活動をしなさい」この生き方、心の有り様を伝える場とし、「地域で生きる」ことの意味と問いかけを多くの市民と共有して小樽の未来のまちづくりを考える場とする
場所は、運河に近い小樽運河プラザ3番庫で開催。コロナ自粛期間の中、約1.000名の方々が来場し、中には熱心に資料を閲覧して4時間も滞在するかたもおられ、アンケートでは344件、37%の方に熱い思いを寄せていただきました。その声のなかには・・・
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私は運河が半分守られ、その志が小樽の様々な町づくりに息づいている点で、大変な貢献があると思いました。しかし、この展示を拝見して、峯山様が「半分しか残せなかった」と考えていたことに驚きました。運動の先頭に立った者の思いや大変さに改めて思いを馳せます。(男小樽)
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先人の方々が人生をかけて守ろうとしてくださった小樽の歴史を、今度は私たちが守り続けなくてはならないかとかんじました。この街に住んでいることに誇りを感じます。(女30・小樽)
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没後10年経つと、峯山さんのことを知らない方も増えているし、風化させてはならない小樽の大切な歴史だと思うので、素晴らしい展示でした。涙なしには見られません。(女40・小樽)
「峯山冨美没後10年企画展」の次の展開として構想していたことが、3回目となる「全国町並みゼミ小樽大会」の開催でした。1,980年の1回目は、運河保存運動で大激論の最中に全国の方が応援に駆けつけてくれました。2001年の2回目は、半分の運河になりながら、運動の知名度から800万人の観光客が来樽される中、疑問を抱えて・・・そして、3回目となる2023年10月13日~15日は、「小樽運河100年の歴史から考える~今、ふるさとの魅力を未来へ~」と題して、子供たちが誇りを持って暮らせる町づくりの形を求めて開催します。全国の皆様の経験とお知恵をお借りして、継続可能な歴史的景観を持った港町としてNEXT STEPのまちづくりを考えていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
函館の歴史的風土を守る会
February 03, 2020
設立年 1978年4月
会員数 65名
代表者 会長 佐々木馨
住所 〒040-0001 北海道函館市五稜郭町43-9五稜郭タワー㈱内(担当:野寺)
TEL: 0138-51-4785
URL: http://www.hakodate-rekifukai.com
◉2019
・第41回函館の町並みを美しくする新春チャリティパーティ
・第36回歴風文化賞贈呈式
・第16回小・中・高校生による「ふるさと写真コンクール」
・開港5都市景観まちづくり会議 横浜大会に参加
◉2018
・第40回函館の町並みを美しくする新春チャリティパーティ
・第35回歴風文化賞贈呈式
・第15回小・中・高校生による「ふるさと写真コンクール」
・開港5都市景観まちづくり会議 函館大会の開催
◉2017
・第39回函館の町並みを美しくする新春チャリティパーティ
・第34回歴風文化賞贈呈式
・第14回小・中・高校生による「ふるさと写真コンクール」
・見学会 函館山要塞見学会
・函館市建設部都市デザイン課主催「みて・聴いて・考える町並み」の実施
◉2016
・第38回函館の町並みを美しくする新春チャリティパーティ
・第33回歴風文化賞贈呈式
・第13回小・中・高校生による「ふるさと写真コンクール」
・見学会 戸井・恵山地区見学会
・函館市建設部都市デザイン課主催「みて・聴いて・考える町並み」の実施
特定非営利法人盛岡まち並み塾
February 03, 2020
設立年 2003年12月
法人化 2017年6月6日
会員数 36名
代表者 海野伸(理事長)
住 所 〒020-0015 盛岡市鉈屋町3-15 大慈清水休み処
TEL: 019-656-1603
Mail: machiya@theia.ocn.jp
◉2019年
「盛岡まち並み塾」は、歴史的まち並みや建築物等の保存・活用を図るとともに、地域に残る暮らしや文化を次世代に継承することを目的としている。
活動内容は、改修した盛岡町家を借上げ、地域交流・観光拠点として「大慈清水御休み処」の運営を行いながら、定例で伝統芸能及び歳時記の継承を図る企画として「盛岡町家旧暦の雛祭り」や「盛岡のお盆・黒川さん踊りの門付」等を地域住民と協働で行っている。
昨年は、景観形成整備事業としての「朝顔プロジェクト」に加え、次世代への継承を目的に親子参加型「町家改修体験 床ぬりワークショップ」、地域住人と大学との共同により「町家お掃除プロジェクト」を実施し、多くの人の参加を得て活動の範囲が拡大した。
また、盛岡市歴史的街並み保存活用推進を目的とした勉強会を盛岡市、地域住人との協働で開催している。
さらに、鉈屋町に隣接して北上川の歴史的な川港である新山河岸(しんざんがし)跡があることを背景に、観光推進を目的とし北上川舟運を復活する活動を他団体との連携で実施している。
◉2018年
盛岡まち並み塾」は、これまでの任意団体から2017年7月、「特定非営利活動法人盛岡まち並み塾」として組織を改め、歴史的なまち並み及び建築物等と暮らしの文化を次世代に継承することを目的として活動を行っている。
町家借上げ・改修活用事業として「大慈清水御休み処」の運営。盛岡市との連携、地域住民との協働により、伝統芸能及び歳時記の継承事業「盛岡町家旧暦の雛祭り」や「盛岡のお盆・黒川さんさ踊りの門付」等を法人化後も継続して行っている。
昨年は、景観形成整備事業「朝顔プロジェクト」に加え、親子参加型「まちなかベンチプロジェクト」、鉈屋町の中心道路の整備を見据えた社会実験「歴史を活かしたみちづくり事業」を実施している。
また、鉈屋町に隣接して北上川の歴史的な川港である新山河岸(しんざんがし)跡があることを背景に、観光推進を目的とし、北上川舟運を復活する活動を他団体との連携で実施している。
◉2017年
2010年(平成22年)に開催した第33回全国町並みゼミ盛岡大会の第6分科会で話題になった盛岡バスセンターが、今年9月末に閉鎖、年内に取り壊されることが発表された。盛岡バスセンターは、1960年(昭和35年)に自動車ターミナル法適用第1号として建設され、一日に250本のバスが発着していたが、運営する株式会社盛岡バスセンターが運営終了を決めた。これを受けて盛岡市は、盛岡の公共交通の要であるバスターミナル機能を維持するため、株式会社盛岡バスセンターによる建物の解体の後、盛岡市が土地を取得し、新たな複合施設を建設することを発表した。
市民に長く愛されてきた盛岡バスセンターの建物をまちの記憶として保存継承しようと「盛岡バスセンターから考える会」を結成し、7月3日にはシンポジウム「解体、ちょっと待って!盛岡バスセンター」を開催、盛岡大会第6分科会のコーディネーターだった全国町並み保存連盟の福川裕一理事長も登壇した。保存は難しい状況だが、あきらめないで、盛岡バスセンターを核としたまちづくりの提言を続けていく
美しい角館を守る会
August 31, 2016
設立年 1978年10月
会員数 14名
代表者 代表 佐越 昇
住 所 〒014-0321 秋田県仙北市角館町西勝楽町11 佐越方
TEL: 0187-55-1361
◉2015-2016の活動
1978年の第20回全国町並みゼミ村上大会において「町並み町長第1号」の愛称をいただいた高橋雄七さんが2月25日に間質性肺炎にて亡くなられました。
2012年8月に病気となり、2か月の入院後、自宅静養は要介護4から5の状態でしたが、担当医師からこの病気では見本となる回復と喜ばれるほどで、外出も一人でできるまでになりました。が、3年半のちに帰らぬ人になりました。
1981年、町の中央にある田町山を削り取り、統合中学校建設という角館町(当時)の計画に反対し、「美しい角館を守る会」を結成し、全国町並み保存連盟に加盟し、住民運動を展開された方でした。その後、1989年から角館町長を3期務め、町の発展はもちろんのこと、文化財保護、大好きな角館のお祭りを国の「重要無形民俗文化財」とするなど大きな功績を残されました。退任後は母校東北大学、大学院で歴史をさらに学ばれながら、全国町並み保存連盟の副理事長を務め、また町の文化財保護会長として文化財の保護に尽力されました。偲ぶ会をと考えていますが、今少しお時間をください。
史覺院雄山治道居士 享年77歳 合掌
会津復古会
February 03, 2020
設立年 1971年9月
会員数 13名
代表者 山田悦史(肝入)
住所 〒965-0873 福島県会津若松市追手町4-18 会津葵気付
電話 0242-26-5555
Mail: qzc11065@nifty.com
URL: http://www.aizu.com/org/aizu/
◉2015-2019
會津復古會は「眞、善、美」あくまで本物の美を追究する。したがって建造物について「木と土と漆喰白壁と石と煉瓦」までを重視し「江戸、明治、大正、昭和初期」までの店舗づくりをする。古い農家、民家が壊される際には、これらを取得して素材を店づくりに生かす。それが復古會方式である。近代的なもの例えば、新建材ボードなど壁面などの内装材、蛍光灯などの照明機材を取り払い、美しく絵になるカメラの被写体となるように徹底復元したのである。これは「ならぬものはなりませぬ」頑固一徹な会津っぽの素朴な演出でした。本物徹底こそ感動を伝達する地方文化なのだと私どもは考えた。古い味のある素材の再利用、リバイバル、リサイクルのこれこそ基本である。旅は未知との遭遇で、他所にはないものが宝なのである。
復元、修景された名門老舗「鈴木屋利兵衛、竹藤、會津葵、えびや、田季野」の5店舗がこの一之町界隈にあり、一之町は會津復古會誕生の地であり、400年前天正年間会津に移封されて自由売り買い市として、町方に開放された。「楽市楽座」発生の地、これが会津商人の出発点でありました。
會津復古會は古きよきものを守り、その心をこれからも伝えていきたい。
また、風俗、習慣、年中行事、芸能伝統産業、民芸品、食味など生活文化の掘り起こし、奉仕の精神に基づき、行政からの補助金に頼ることなく、ボランティア活動のさきがけとなる運動を展開している。
大内宿保存会
August 31, 2016
大内宿保存会
設立年 1981年4月
会員数 48名
代表者 佐藤一夫(会長)
所在地 〒969-5207 福島県南会津郡下郷町大字大内字山本5番地
電話・FAX 0241-68-2914(会長宅)
❖大内宿の誕生
大内宿の誕生は1647年に、会津初代藩祖「保科 正之公」が「諸宿駅」を定めて整備されたものです。 保科正之公は二代将軍徳川秀忠の4男「庶子」と
して生まれ、見性院「武田信玄の娘」に育てられその縁で信濃高遠藩に保科正光の子として養育されます。秀忠の亡きあと三代将軍家光「異母兄」は謹直で有能な異母弟をことのほか可愛がった。のちに出羽山形藩主「20万石」を拝領し1643年、陸奥会津 藩主として大身の大名にひきたてられます。熱烈な朱子学者で山崎闇斎の影響を強く受けて「神儒一致」 を唱え、身分制の固定化をし、幕藩体制の強化に努め四代将軍の輔佐役(大政参与)として幕閣の重きをなしました。
江戸の町づくりでは玉川上水の開削者となり江戸市民の飲料水を安定確保しました。明暦3年の大火後今後の大規模火災対策として主要道路の道幅を6 間から9間に拡幅しました。また、火除け空き地として上野に広小路を設憤し江戸の防災性を向上させ ています。
これらの功績は藩祖後のことではありますが人物 像として資質を確認できるものです。
保科正之公がこのような人物であることからいっ て「大内宿の整備」に大きな影響を与えたことは容 易に想像できます。
❖神社を中心とした構造
町並みの中央に鳥居「第一の鳥居」を構え西方に第二•第三の鳥居を構えての本殿「鎮守の森」が設憤されています。
更に鎮守の森の周りを回した山水を宿場(集落) の最上部まで運び両側の水路「生活用水」へ分水し ております。これは神水としてお清めしたものと考 えられます。
藩政時代初期に道路を中央に両側に立ち並ぶ民家
「地割された」から殿さまが通る街道を見下ろすことができる妻側開放はかなり珍しい形です。1 80年の高倉以仁王の伝説に基づいた「高倉神社」の祀り方、すなわち「渡御」ができる町並みづくりが基本になってます。まさに信仰を据えた町づくりのスペシャリストだったと考えられます。
これが大内宿の誕生であり、類に見ない江戸宿場 の形かと思われます。
❖伝建地区の指定を契機に甦る
やがて藩政時代が終焉しました。明治17年、時の福島県令「三島通庸」の道路政策「会津三方道路」 の整備完成で廃道化され、それまでの役割「宿場」を終えました。
それからは会津地方の山間僻地で寒冷地を伴う村 は原始社会に前戻るような厳しい生活へとなっていきました。そんな貧しく苦しい時代が10 年近く続いたのです。
次に近代社会から取り残された村に「大転換する」 機会が到来します。昭和42年、美大の学生だった相沢詔男氏が茅手調査の旅で大内集落に入った事が
「機」なったのです。
世の中に報道を通して「幻の村の発見」という衝撃を与え、「それまで静かに沈む村」がスクープさ れ村人たちにとっても大きな動揺が起きました。
「将来への変わる夢」と「新たな拘束に危惧する 不安」とに分かれ、保存賛成だ、反対だ、と村が二 分化されるまでになっていきました。
保存に反対する者は急いで茅葺屋根をトタンで覆い、近代文明の証しである「アルミサッシ」を取り 入れました。
村人は大いにもつれ喧々誇々の中で遂に、保存することをあきらめ「区総会」にて「保存しない事を 決議」してしまいました。
その決議を持って反対する人の中には建て替えや改修工事をする正当性が生まれ、改修が加速されて いきました。
数年後、再度・保存への機運が高まることになり、 遂に昭利56年4月に、国の選定「重要伝統的建造物群」保存地区を受けたのです。昭利42年の発見から14年間の激しい変化を経験しました。
ここまで、辛抱強い緻密な調査と繰り返す説得と行政の努力とには改めて感謝の念を抱かねばなりま せん。
指定を受けた時点では「まだら模様」の町並みとなってしまったのもその経緯で説明でき、ご理解を いただければ幸いです。
そんなこんなをしているうちに観光客は年々増え続けることが顕著になり、村人も徐々に競うように 観光客を受け入れ始めます。
村には民宿ができ、土産屋ができ、食堂が増え続け、数年には村の形相が大きく変わっていきました。 追い打ちをかけたのは中央のマスメディアで、自治体も観光を取り入れようと準備に環境整備を始めました。賛成反対の「しこり」は過去の間題に化し、今日の「大内宿」になったということです。
一度近代化に改修した建物は徐々に復元化されアルミサッシも取り除かれてトタン屋根も茅屋根に戻 りつつあります。訪れる観光客の入込客数増加に邁 進する今日の大内宿であります。
❖課題
しかし、喜ばしい事ばかりではなく「影」も同居 していることが感じる今日になってきております。
50軒の集落に高齢化が忍び寄り、夜間には無人の家・高齢者一人斡らしの家・高齢者二人斡らしの家が15軒、30%の家が後継者との同居を許しておりません。勿論事情は様々ですが、この間題に今直面 し、よくよく考えなければならないことは、誰のた めに何のために残すのか、そのことが明日の家族に とってどう豊かさを享受させるのかを再度整理して 共有したいと思います。
また、忘れてはならない大切なことに「みんなと 同じくできない家の事情」を抱えている人がいる事 への心配りこそが求められております。
「保存と活用」を通して「経済活動とこころのあ り方」一人一人の幸福感までもがどうあるべきかを 考えさせられております。
保存と活用に傾注して35年経った今日においての大内宿の課題として、50軒の村「大内宿」は大内区長を先頭に組織化され保存活動に保存会を組織し、活用に観光協会を置き、消防組織、青年会組織、 婦人会組織等々、役割分担をし重複するもやりこなし自分たちで考え、自分たちで行動する村が大内宿でもあります。
自治体「下郷町」、「福島県」の指導、協力を得て 古い文化を明日の未来に向かって「守るもの、変え るもの、挑むもの」メリハリのある生き方を実践し ていきたいと思います。
第39回全国町並みゼミが私どもの地で開催をさせていただけるわけですが、是非皆様方におかれま しては美しい町並み保存と活用へのご提案・ご指導 を頂戴できれば大変うれしく、また開催地としての 有意義を覚えるものと確信いたします。