福川裕一
- 2018年3月16日
各地で本格化する町家の再生利活用:第4回備中町並みネットワーク&第7回全国町家再生交流会
2月17、18日、全国町並みゼミ倉敷大会をきっかけに始まった備中町並みネットワーク(第一部)と町並みゼミ分科会からスピンオフした全国町家再生交流会(第二部)が、岡山県倉敷市で17日〜18日に開催された。会場は、倉敷市美術館(丹下健三設計の旧倉敷市庁舎)、222人収容の講堂が満員に。 第二部交流会の基調講演で、宗田好史京都府立大学副学長は、京都の現状を情熱的に紹介、もはや町並み保存ではなく「町並み創造」だと喝破した。町並み保存連盟も名前を変えないといけないのかもしれない。 2013年の全国町並みゼミ倉敷大会で、千葉大学のモリス教授の「イギリスで歴史的な建物の保存がうまくいっているのは、歴史的建物に市場価値が認められるからです。直すと価値が上がる」という発言が印象に残っている。今回の交流会では、わが国でもいよいよ町家の再生利活用が本格化しつつあることが実感された。 もっとも、都市による違いが際立ったのも今回の特徴。町家ブームに沸き「ルールブック」をつくって民泊などの野放図な「町家活用」に対処しようとする京都都心などと、補助金や政府系資金を活用しながら


戸田和吉(鞆・暮らしと町並み研究会)
- 2018年3月13日
重要伝統的建造物群保存地区になった鞆の浦:これまでの経緯とこれから
広島県福山市・鞆の浦からの報告が、初めて全国町並みゼミであったのは、1997 年(平成9)の第20 回村上大会だった。以来 20 年、昨年ついに国の重要伝統的建造物群保存地区選定に至った。この間、景観利益を認める画期的な判決を経て、広島県は埋立架橋計画を断念したが、推進派と反対派住民の分断、福山市との確執、交通渋滞など課題も残されている。瓦版78号で報告した通り、新たに「鞆・暮らしと町並み研究会」(会長:山川龍舟・福禅寺対潮楼住職)が立ち上がり、からまった糸をときほぐす取り組みがはじまった。同会の副会長となった戸田和吉さんに報告をお願いした。 * * * 1.選定までの経緯 1975 年(昭和50 年)に、文化庁が「伝統的建造物群保存地区」制度を創設して 40 数年が経過している。創設2年前には,文化庁が伝統的建造物集中地域として鞆町をリストアップし、伝建制度創設に伴う「調査補助対象地域(全国10 ヵ所)」にも選定された。福山市は1975 年に「伝統的建造物群保存対策調査事業」を開始し、翌年調査報告書『鞆の町並』を刊行した。その後,1978 年(


稲葉佳子
- 2018年3月13日
師に導かれて今日の我あり
2月24日土曜日、陣内秀信法政大学教授の最終講義が法政大学市ヶ谷校舎で行われた。さすが陣内先生、800人収容の階段教室になお立見の人も多数という盛況だった。講義では、イタリア留学以来の軌跡を振り返り、[建築類計画→空間人類学→エコヒストリー/水都学]と総括された。陣内学派はブラタモリにも出演多数で、「ご研究の内容は?」と問われると「ブラタモリのようなことをやっています」というとすぐわかってもらえると笑いをさそった。陣内さんは、第一回有松・足助ゼミにも参加されており、第五回東京ゼミでの「東京レポート」が天声人語にとりあげるなど、全国町並み連盟との関わりも深い。今回は、お弟子さんの稲葉佳子さんが記念誌『都市への羅針盤:陣内研究室41年の記録』に寄せた文章を、同氏の了解を得て掲載する。稲葉さんは、臼杵藩の藩祖・稲葉氏の末裔。書かれている通り、その後東京のエスニックタウンの研究に取り組み、近著『台湾人の歌舞伎町:新宿、もうひとつの戦後史』(紀伊国屋書店)が評判だ(福川裕一) *** 「東京のまち研究会」で、山の手を歩き回ったのは40年も前のことであるが、

