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福川裕一

京極迪宏さん、お別れの会


 2018年11月26日、京都ホテルオークラで、9月27日に亡くなった京極迪宏さんのお別れの会があった。会場に足を踏み入れた人は誰しも祭壇にかざられた京極さんの写真に、思わずニコっとしたに違いない。かざられていたのはとても若い頃の京極さんであった。周りの人に聞くと、龍野ゼミの頃に撮った写真だそうだ。龍野ゼミは1985年である。ということは40歳ころか。京極さんは、第8回の龍野ゼミが町並みゼミ初参加だと、当日いただいた『京極迪宏の肖像』に付された年表で知った。

 この日のお別れの会は、午後3時から7時までの間に、三々午後集まって、出会った人と故人を偲ぶという形式。誰かがスピーチするというわけではなく、私も5時ごろから最後まで、集まった町並み連盟の方々と思い出話に花を咲かせて、おだやかなひとときを過ごした。

『京極迪宏の肖像』は、ハガキ大にそれぞれが記した思い出を集めた本である。

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 京極迪宏さんは、全国町並み保存連盟の「中興の祖」である。町並み保存連盟が、仲良しサークルからNPO法人という近代的組織へ生まれ変わる時、主導的な役割を果たした。その頃、私は連盟の運営とは距離を置いており、具体的な「バトル」の内容はよく知らない。しかし体制変革後、毎月東京で開催される運営会議に京都から出向き、自らが関わった体制の確立に力を尽くしされた。会員それぞれが応分の役割を果たしながら組織を運営していく、今日の体制が動き始めた。

 それだけではない。京極さんは「戦略家」であった。第40回目の町並みゼミを、第1回と同じ、有松・足助で開催するというアイデアは、その産物であり、町並み連盟の次の10年の出発点となる記念すべきゼミとなった。昨年11月に開催されたそのゼミが、京極さんの最後のゼミとなった。今年2月の、倉敷で開催された備中町並みネットワークには矍鑠とした姿を見せ、復活を期待したのだが。

 みんなの気持ちを鼓舞しながら、筋の通った合理的な運営を行う、そのレガシーをどこまで発展させることができるか、残された私たちの課題である。

福川裕一

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