多様な方法で交流を
みなさんの地域ではコロナの影響はいかかでしょうか。6月に入って緊急事態宣言が解除されましたが、東京では「東京アラート」が続いています。町並みの事務所がある文京区の茗荷谷駅周辺では、3月末の自粛要請以降、ガラガラになった都心と引き換えに普段よりたくさんの人が歩き始めました。この流れが地方へ向かえばいいのに。分散型社会は、たしかにコロナ後の一大テーマです。山本事務局長は、混雑した電車を避けて時差通勤し執務を続けています。私は、5月は、本来ハノイにある越日大学(VJU)へ出かけて講義をするのですが、今年は遠隔講義となりました。アメリカの大学で教えている先生が、遠隔講義は準備が手間取り、なにより喋っている時学生の表情が見えないので大変だと「論座」に書いておられましたが、まさにそれを実感しました。
町並み連盟の活動について、いくつか報告があります。
まず、第一に、町並みゼミ川越大会以来保存運動が展開されていた旧水村家住宅。解体作業が4月24日に始まりました。水村さんから「しばらくすると、ここには何があったかもわからなくなってゆくのでしょう」とお葉書をいただきました。大会の決議文を、水村さんと市長に届けることにしていたのですが、市長との面会を約束した日の前々日あたりから頭痛がはじまり(熱はありませんでした)、ついつい弱気になって、延期してしまいました。そして次の面会を申し込んだところ、今度はコロナを理由に次の面会は断られてしまいました。止む無く、決議文は手紙を添えて郵送しました。手紙とそれに対する市の回答はホームページにアップしておきます。川越では、昨年の鶴川座解体に続く、重要な建物の喪失です。実は、川越ではほかにも伝統的な建物の取り壊しが続いています。川越ゼミで提起した〈HUL〉の実現が、これからの町並み運動のターゲットになるという思いを強くしました。
第二に、第43回全国町並みゼミの開催についてです。5月28日の運営会議で、ディスカバーまかべの吾妻さんから、従来の形で9月19-20日の町並みゼミを開催することはとても難しい、という報告をいただきました。「9月のゼミをコロナ後の町並み運動の出発点に」などと能天気なことを考えていたのですが、「ゼミ開催は、地域社会全体の協力が不可欠、9月までにその態勢を回復することは困難」と言われると首肯せざるを得ませんでした。地域経済が傷ついている現状のもと、多くの人々にボランティアをお願いするゼミの開催は、やはり二の足を踏まざるを得ません。吾妻さんたちにとっても、川越ゼミで決断したゼミの開催を今さら変更することはまさに断腸の思いであったと拝察します。従来型にとらわれないゼミを工夫したいと思います。
秋にかけて計画されていた、ブロックゼミなども開催が危ぶまれます。経験交流が最大のミッションである町並み連盟としては、存立基盤が問われるところですが、私たちは、もっと多様な手段で交流する必要がありそうです。遠隔講義で気づいたことがあります。思いついたらすぐチャットできるZOOMやTEAMSでは、一対一のコミュニケーションが教室より濃密になることです。大人数で開催する大会は当面避けるとしても、少人数での相互交流は可能です。真壁のある筑波山麓一帯は、在郷町と集落が網の目のように広がる素晴らしい場所です(地理を学んだ方はクリスターラーの中心地理論を思い出してください)。ゼミはなくてもぜひ一度訪れてください。瓦版などでご案内します。また、地域で勉強会などを開催し、そこに遠隔からの参加も呼びかける、多発・分散型ゼミはどうでしょうか。
コロナ後の社会はどうなるのか? せっかく始まった「古民家活用」はどうなるのか。見通せないことがたくさんありますが、ひとつ確かなことは「どうなるか?」ではなく「どうするか?」だと思います。
NHKアーカイブスで、2004年の「井上ひさしのボローニャ日記」を再放送していました。改めて感銘し、その番組をもとにした『井上ひさしのボローニャ紀行』を買ってきました。そこで井上ひさしさんは、イタリアの人々は、街をブラブラしながら、知った人に出会って話に花を咲かせる「日常の中に楽しみを、そして人生の目的を見つけること」を無上の喜びとする。そのためには「みんなでそれを叶えてくれる街を作らねばならない。」と考えている。そのことが「歴史を大切にし、現代に生かす」ボローニャのまちづくりの原点になっていると言い当てています。その上で、ボローニャのまちづくりは、中世の自治都市成立以来、エスタブリッシュされた権威が腐敗するたびに、新しい市民層が、市民的徳を発揮しながらそれと闘い、街づくりを市民の手にとりもどすプロセスが繰り返され、それが現在も続いていることを指摘しています。
「どうなるか?」ではなく「どうするか?」。コロナ後へ向けて再スタートを切りたいと思います。