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  • 香山篤美

インタビュー・シリーズ❶ 住民主体で、地域まるごと博物館をめざす活動を20年:夢空間松代のまちと心を育てる会の香山篤美さん

更新日:2022年5月4日

各地で歴史まちづくりに取り組む方々へのインタビューをシリーズでお届けします。全国町並み保存連盟では「集落・町並み憲章」の解説本の作成をあたり、18ある節のそれぞれに、もっともふさわしい活動をされている団体へのインタビューを載せるという方針で編集を進めています。解説本では、原稿量も限られ、刊行も少し先になるので、インタビューが終わり次第、なるべく全文を公開していきます。第一回目は、NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会の香山篤美さん。憲章第10節「住民の運動と学習」に関連して、お話をうかがいました。なおインタビューは、2022年2月24日に「集落・町並み憲章」解説本編集委員会(全国町並み保存連盟運営会議が兼務)がオンラインで行いました。

20年記念誌『信州松代まるごと博物館構想20年』を手に、質問へ答える香山篤美さん

福川:今日は、集落・町並み憲章解説本作成の一環として、「NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会」(以下「夢空間」)理事長の香山篤美さんにお話をうかがいます。集落・町並み憲章解説本では、18ある節のそれぞれにもっともふさわしい活動をされている団体のインタビューを載せるという方針で編集を進めています。香山さんにお願いするのは、憲章第10節「住民の運動と学習」に関してです。同節には、住民自身の永続的な学習活動の重要性がうたわれているのですが、第42回全国町並みゼミ松代・長野大会で松代を訪れた折、香山さんたちが、この点にまさに組織的に取り組んでおられることに感銘を受けました。今日は、どうぞよろしくお願いいたします。

10. 住民の運動と学習 
 歴史的町並み保存運動は、当初は文化財保存運動であったが、しだいに住民の手による文化を見直す運動として、さらには地域の個性を特色づける運動として深化・拡大した。今日では21世紀における環境運動の一つとして、多様な展開が期待できる。
 住民自身の保存に対する理解と誇りをうながすために、持続的な環境学習が必要である。とくに、世代交代期に危機が訪れることを銘記すべきである。歴史的町並み保存の問題は、すでに理念として確立されたことなのではなく、地球規模にまで拡大した環境問題のなかで、つねに位置づけをこころみ、主張を繰返さなくてはならない深刻な課題の一つである。また、子供たちに対する環境教育の一部としても、歴史的町並みの問題が組込まれるように努力する必要がある。

香山:はい、どうぞよろしくお願いいたします。


(多彩な活動と運営の仕組み)

福川:昨年(2021年)春に『信州松代まるごと博物館構想20年:住民主体のまちづくりの歩み』という記念誌をいただきました。[NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会]の発足20年を記念して2021年3月に刊行されたものです。これまでの活動の記録がぎっしりつまっているだけでなく、とてもハイセンスな冊子です。

 たとえば5年間のイベントへの参加者をまとめた資料15をみると、夢空間では、ほぼ毎月何らかのイベントが行われています。イベントだけでなく、まち歩きセンターの運営とか、町家や武家屋敷の指定管理や管理運営という業務もされているわけですが、夢空間のメンバーは、ほぼ毎日のように活動されているのですか?


香山:そうですね毎日ってわけではありませんけども、チームでもって動いてるので。それぞれのチームがそれぞれに活動していくと、なんか毎日のように感じますが、実際には、そんなにひとりの人がどんどんどんどん動いてるわけではありません。


福川:いろんなチームが重層しながら動いている。


香山:そうですね、全体で活発に動いてるように見えますけど、ひとりの人の動きとして見れば週に1回ぐらいなんかやってるかな、というぐらいに考えていただいていいんじゃないかなあと思います。


福川:でも香山さんご自身は、ほとんど毎日のように走り回っておられる?


香山:私自身が動くってあんまりないんです。まち歩きセンターの中に事務局を置いていて、そこに2人、定年退職した方のパートタイムですけども、専従でつとめていて、とんまわしをしてくれてます。


福川:住民運動が必ずしも得意としない、すぐれた体制がしっかりできている。


香山:すぐれているかどうかわかりませんけども、専従事務局スタッフがしっかりしているので。私は、相談があったら指示をするという立場です。


中村:夢空間のホームページをずっと見ていますが、活動がすごいですね。町の規模と住民のコミュニケーションみたいなのがすごくうまく進んでるって感じです。倉敷はもうバラバラでやってるので、コントロールがきかず、小さくやらざるを得ないというところがあったりするのですが、上手にまとまっているから、これだけの日々の活動を続けていけるのかなって改めて実感しているところです。で、運営の仕組みがどうなっているのかが一番聞きたいです。お金がどう出てきて、どういう人たちが動いてるのかっていうのが、気になります。長く続けるためにはそこが大切なので。事務局体制ですね。


香山:そうですね、20年前に始めた頃は事務局っていうものがなくて、私がひとりで会員に、ハガキで毎月一回会員通信を出して連絡するというような形でやってたんですけど(注、専従スタッフを置いてからは毎月一回夢空間だよりA5判4面を継続発刊して会員全員に郵送して情報を共有、2022年4月に250号となる)、だんだん規模が大きくなってきて、三、四年経ってから事務局を構えるようになりました。パートタイムでひとりお願いし、その人が入ることで、皆さんとのコミュニケーションが円滑に行えるようになった。初めはみんな手弁当で、全く持ち出しでやってたんですけども、規模が大きくなってくると、行政の方でも注目して支援をしてくれるようになり、ちょうど10年前に、空き店舗を活用して、まち歩きセンターをオープンさせました。そこにきちっとした拠点ができて、みんながまちなかに集まれるようになりました。そこで本を売ったり、視察の受け入れをやったり、いわゆる自主事業ををすることで、資金的な回転もするようになった。

 今は、長野市から300万円の補助金をいただいています。それに指定管理や管理委託費で1500万円ぐらい。全部で1800万円ぐらいの資金で運営している状態です。あと、会費はひとり1500円、約200人の会員がいます。


福川:ほぼ2000万円の年間予算。すごいですね。


香山:ただ最近は視察の受け入れがピタッと止まっちゃったんで、非常に窮乏してます。今までは、ひとり1000円で2時間ぐらいのまちづくりの視察を受け入れていた。年間最大で1000人の視察を受けていました。その資金源が絶たれてしまって、大変苦しい思いをしております。


福川:まち歩きセンターの建物は、どうしていますか?


香山:行政の方が、社会資本整備事業という補助金を入れて200万円ぐらいで改修してくれた。あとは自分たちで市の補助金等を使って、大家さんの了解いただいて、月額約10万円でお借りし運営しています。


山本:もともとはコンビの空き店舗ですよね。


香山:そうです、そうです。ちょうどまちの真ん中に空き店舗ができちゃった。何とかしなきゃいけないっていうんで、まち歩きセンターにしようってことで借りてます。


(小地域固有のまちづくりを先導し行政との関係を築いた)

福川:行政との関係がとても良好に見えますが、松代町は、もともとは長野市とは独立した町ですよね。


香山:長野市と合併してもう50年以上になるかと思いますけども、38万人の長野市に対して、松代は、今の人口は1万7000人ぐらいですが、いわゆる小地域です。非常に大きな市の中に埋没してしまうという流れの中で、松代のよさがずっと生かされないできたというのが、夢空間発足のころです。これじゃどうにもなんないなと、これは住民が何とかしないと行政は何もやってくれないなという思いの中で、やむにやまれず立ち上がったのが20年前です。

 当時は、小地域型で活動する団体がそんなにあったわけじゃなかった。しかし、小地域、で特色あるものを生かしてまちづくりをしていくんだということを、私たちが提言し実践していったことが、長野市、特に市長から「それはとてもいいじゃないか、応援しようじゃないか」と支援を引き出す引き金になったと思います。その後、各地区でそういった小地域の地域づくり、合併する前の地域の地域づくりが、かなり活発化していった。


福川:長野市内には、個性的な町並みや集落がたくさんあります。


香山:そうですね、市町村合併で村や町を合併してきているので、戸隠や善光寺周辺などのように各地に個性的な町並みや集落が遺っています。今は、長野市各地区に小地区住民協議会というのが30地区にできています。行政が作ったんですけども。


福川:自治体内分権の仕組みですね。松代はその先頭を走ってきた。


香山:そうですね、そういったことが言えるかと思います。全国で市町村合併が活発化した時期には、合併後の自治体内分権の仕組みを模索していた町村が、「合併しても頑張っている町・松代」の秘密を探ろう視察が殺到した時期もありました。会発足以前までは、合併してダメになった町と言われていたんですけれど。


(夢空間結成へ)

福川:はじめの頃のことをうかがいたいんですけれども、20年誌を拝見すると、松代のまちづくりはインターチェンジ招致の運動から始まったということですが、夢空間としては、平成12(2000)年に中心市街地活性化基本計画をみんなで作ったというのが出発点で、そのタイトルが「まるごと博物館」だった。


香山:はいはい。


福川:よく見たら、これは旧まちづくり三法のときの基本計画ですね。新法以降は、非常にマニュアル化されて、判で押したような活性化計画しかできなくなっちゃったんですが、旧法の時は、自由に議論してみんなで創意工夫しながらつくることができた。


香山:そうですね、旧まちづくり三法のときの基本計画です。行政も若手の職員が入ってきて、一緒になって。地元商工会議所を核にしながら住民参加型で、60人ぐらい参加したと思うんですけども、自由に議論してみんなで創意工夫しながらつくりました。そういうことでこの基本計画にはかなり思い入れがあります。


福川:実は憲章の方には、「町並み保存運動は、当初は文化財保存運動であった」と書いてあります。でも実際は、中心市街地の活性化とか、まちづくりの方から始まっていく方が多いんだろうと思います。松代はまさにその例だなと思って拝見していました。今回の解説本は、そのような憲章のちょっと古臭いところも批判しながら作ろうと思っています。

 少し個人的なことを伺います。香山さんは、元々は松代の老舗のご出身でいらっしゃいますが、若い頃は東京におられたんですか。


香山:東京には10年ほどいました。社会教育団体に勤務して、青少年のボランティア活動の育成という取り組みをやってたんです。小田急線の、青少年オリンピックセンターの中に事務局があって、全国48都道府県を回ってですね、各地区のボランティア養成に携わった。ヨーロッパへの視察研修などもあって、そういった中で町並み保存がいかに大事かというのをすごく感じたんですね。あの当時はJRのキャンペーンもあった。昭和40年代の後半だと思います。


福川:ディスカバージャパンですか。


香山;そう、ディスカバージャパン。萩や津和野とか妻籠も行きました。そこで、これからはもっと町並みに取り組みことが必要だと実感し、田舎に帰ったらそれをやろうと思った。その後、実家に帰って家業を継ぐことになったんですが、町並み保存をやっていきたいなっていう思いはずっとあった。夢空間を立ち上げるときも、それを基本に置きながら取り組んだ。


福川:松代へお戻りになったのは何年ですか?


香山:昭和50(1975)年です。田舎に帰ってみたら、10年間の空白のうちに、町並みがもう本当にどんどん壊されてちゃったというのを実感しました。これは何とかしなきゃいけないというのが、ずっと根底にはありました。


福川:東大の大谷研究室が伝建地区の保存対策調査に松代に来て、西村幸夫さんをキャップに『庭園都市松代』という報告書をまとめたのが、昭和56(1981)年から57年にかけてです。


香山:地元に帰ってからまもなく、公民館活動に参加して地域課題を学習する講座に参加して仲間づくりを行い、「松代の明日を考えるグループ」を立ち上げました。その中で町並み保存をやるべきだとの声をあげ、全戸配布される公民官報に町並み保存をすべきだとの提言を書きました。その声が届いたのかどうか、しばらくして、福川理事長も参加されていた伝建地区の保存対策調査が始まりました。そのころ、私も町並み保存をしなきゃいけないなっていうなことを、ふつふつと思っていましたが、調査との直接接点がなくて、『庭園都市松代』という報告書が出されてから調査のことを知りました。この報告書は夢空間の発足当初からバイブルのような存在で、活動が行き詰まると繰り返し『庭園都市松代』を紐解いて活動の原点に立ち返っています。キャップとして調査に当たられた西村幸夫先生には、夢空間発足以降、講演会の開催など、何回も松代へお呼びする機会を作って現場を見てアドバイスしていただいてきました。そのご縁で全国町ゼミでも西村幸夫先生基調講演をお願いしました。


福川:なるほど。これで前後関係がわかりました。で、平成12(2000)年の地域まるごと博物館計画ですが、世の中ではエコミュージアムとも呼ばれていますが、こういうふうな考え方でまちづくりを進めていこうということも、その頃すでにお考えになっていたのですね。


香山:そうですね。いろいろ町の特色を考えみると、松代はやっぱり歴史的な文化遺産を大事にしながらまちづくりやらないと将来はないなというふうに思っていた。いろんな本を読んでいくうちにエコミュージアムという考え方があることを知った。このフランスのエコミュゼという取り組みって非常に参考になるなと思って、それを基盤に置こうと。たまたま行政の方でも、真田宝物館の学芸員に若手30代ぐらいの方がきて、いっしょにやろうよって声をかけてもらったんで、そこと結びついたということですね。


福川:それで商工会議所を舞台に計画づくりが始まった。


香山:当時、商工会議所が中心市街地活性化基本計画の窓口になっていましたからね。

 私も会議所の一員として、計画づくりに参画したんですが、立派な計画書が出来て30事業が国の認定をもらったのですが、行政任せにしておくと、絵に描いた餅になるという危惧をいだきました。そこで、この計画を具体化するために、住民主体でできるとはやっていこうと思い、会議所の中に組織をつくって取り組んでいくほうが持続できるかなあと思って、会議所に提言して市民参加のまちづくりグループを作ることを承認してもらい、グループづくりに取り組みました。

 そして出来上がった夢空間も、一年目は会議所に事務局を置かせてもらっていました。

 ところが「武家屋敷のお庭拝見」という、「庭園都市松代」の報告書を契機に市が条例で定めた伝統環境保存地区の泉水路のある個人宅のお庭を拝見させて頂くイベントをはじめて計画したら、事前報道で新聞に大きく取り上げられて、1日300人ぐらいお客様が来てしまった。新聞を見て会議所に問い合わせの電話が鳴りっぱなしになって、「香山くん、ここに事務局へ置いてもらったんじゃ困るわな、業務に差し替える」と言われて、「ああわかりました。しょうがない。とりあえず個人のお宅に事務局を置きます」ということで、会議所から離れました。

 こういうこともあります。当初、会議所のいろんな委員会と一緒になって研究会を開催してみたんですけども、どうも一般の人がなかなか参加してこなかった。あれはどっか儲け仕事でやってんじゃないか、というように思われたりしたらしい。住民参加型の組織を作るには、やっぱり会議所とかじゃなくて、もっと中立的な、自由な発想でやんなきゃだめだなと思った。ということで、一般市民を一人ひとり口説いて会員になってもらいました。


福川:100名集まったんですね。見通しはあったんですか?


香山:公民館や商工会議所などの活動を通じて、松代に対する想いを熱くもってる人たちが結構いるなとは事前に感じてたんで。そういった人たちに声をかけていったらば、本当にちょうど100名集まりました。3ヶ月間ぐらいかけて、まちんなかを自転車で一軒一軒歩いて口説き落とした。


福川:すごい情熱ですね。


香山:いや、その頃はまだ若くって、無鉄砲だったかもしれない。


(世代交代期の危機にどうそなえるか)

中村:憲章に書いてある「世代交代期に危機が訪れる」ということは、みなさん実感してると思うんですけど、若い中高校生あたりと、どういうお付き合いをしながらまちづくりをやってるのかをお聞きしたいと思います。


香山:はい。町並み保存といっても、なかなか若い人たちが参加してこないのが現状です。それで、中高生、小学生も含めてですが、子供たちにいろんな形で参画してもらうようにしています。たとえば、松代小学校の先生とタイアップして、総合学習にまち歩きを取り入れていただいて、私達が一緒に案内して、地域の歴史や文化を伝えていく取り組みをやっています。中学校にも総合的な学習というのがあります。まち歩きセンターに、どんな課題でどんなことを取り組んでいくのかというようなことを調べにきます。

 松代高校からは毎年声かけていただいて、200人近くいる一年生へ、「松代の地域課題と取り組み」というテーマで2回ほど講義し、夢空間の活動を知ってもらい、かつふだんからいろんなイベントにも声掛けして、参加してもらう場を作ってくようつとめています。なかなか難しい部分かなってことは常に思ってます。


中村:ずっとやられていて、昔の高校生と今の高校生では、町との関わり方が変わってきていますか。


香山:やっぱり地域に対する思い入れみたいなものはだんだん薄くなってるかなって感じますね。高校生は、やっぱり受験とか就職とかに頭がいってしまって、地域愛とかって地域づくりとか、地域の歴史文化とかっていうものに関心が薄くなってるんじゃないかなっていう気はしています。特に松代高校は、地元外から来る高校生が半分ぐらいになってしまった。


福川:名門校です。


香山:そうすると、いよいよ関心が薄れていくという傾向ですね。私も学校評議員として松代高校と先生方とお話する機会があるのですけども、先生方はもっと地域学習をしたい、地域と密着した総合的な学習をしていきたいという思いはもっておられる。しかし、いざとなると、なかなかうまく結びつかない場面が多々あるということは感じてます。


(多彩な活動に取り組んでいるが、基本はまち歩き)

福川:夢空間の活動の内容についてうかがいます。たとえば、20年誌の目次のセクション3を見ると、まち歩き、お庭拝見、目標百軒、古寺めぐり、旧樋口家、寺町商家、民学連携、視察研修、観光拠点と実にまんべんなく、いろんな活動が取り組まれています。目標百件というのは、登録文化財の目標数ですね。こういうのは、皆さんの会議の中で出てきたものを、どんどんやってくっていう感じなんでしょうか?


香山:そうですね。いろいろやっているけど、初年度1年目に、自分たちの地域のお宝探しをしようという、いいとこ探しって言うんですかね、それをワークショップでどんどん出してってもらった。それが基盤になっています。


香山:(20年誌の写真を示しながら)こんな感じのワークショップをしょっちゅうやってたんですよ。そん時に出てきたのがやっぱりお寺とか、武家屋敷とか、お庭とか、町家。そういうものの中に、より魅力を感じようと、もう一度見つめ直そうということで、それらを探索するプログラムが生まれてですね、お庭拝見になって、お寺巡りになって、町家巡りになってきたっていうようなことです。それが1年目にきちっと形になったんで、毎年継続しながら、お寺ならお寺を徹底的に散策するグループ、町家なら町家を徹底的に取り組むグループというようなパターンができまして、20年継続している。


福川:しかもこういった活動が、全部本になっていますね。


香山:そうですね。このような活動を一歩進めて、ワークショップで保存活用の提案も行うようなりました。行政が所有している、山寺常山邸っていう、活用してない武家屋敷がありました。これに対する提案をですね、6ヶ月間ぐらいかけて冊子にまとめて行政に提案したのが最初です。これには地元若手の一級建築士さんが参画してくれて、かなり緻密な計画を立ててですね、行政にきちっと提案して、最終的にはそれを参考にして行政が保存整備公開してくれたんです。この経験が大きかった。そのあとも、寺町商家とか、旧樋口家住宅とか、いくつかの管理を請け負ってますけども、みんなこんな形の提案をしてきました。

 たとえば、旧樋口家住宅の管理をするようになって10年以上になります。この建物は、非常に活発に、住民参加型の活用がなされています。

 あと大きかったと思うのは、神奈川大学の西和夫先生の存在です。先生は平成7年(1995年)から始まった第一期松代城整備計画の委員として松代にかかわるようになって、平成14(2002)年からは、行政と一緒に松代の建物の悉皆調査をやってくださったんですね。「松代にはすごく古い建物がたくさんあるから、それを生かそう、国の登録文化財登録有形文化財に申請したらどうか」と言ってくださって、そっから登録有形文化財の活動が始まりました。みんなで真壁にも視察に行きました。さらに、神奈川大学が立ち上げ資金として100万円予算化くれて、神奈川大学・松代町まちづくり研究所をつくりました。


福川:大学が予算を出してくれたんですか。


香山:そうですね、先生の教え子たちが全国各地で活躍されていて、その人たちを招いてのシンポジュームを開催したり、いろんな研究会もやり、講座もやりました。同じく神奈川大学とまちづくり研究所を設置していた山形県長井市のセミナーにパネラーとして私を招いてくださって交流を促進して下さり、長井市で行われているように、若手を育てることの大切さを教えてくださって、その後の夢空間で毎月開催している、松代まちづくり研究会の開催につながっていきます。また、解体されてしまう恐れがあった明治時代の商家、旧金箱邸(現在、寺町商家として長野市が整備して夢空間が指定管理者として管理運営にあたる)の保存につながっていきました。

 ただ先生お亡くなりになっちゃったんで、それで終わりになってしまった、残念なんですけど。こんなようなことで、行政からの信頼も非常に厚くなってるかなとは思います。


(すばらしい出版物の数々、それが資金源になっている!)

福川:決めたことをきちっと、しかも、非常にパワフルに実現されてきたという感じがします。しかも、その成果がちゃんと本になっている。これは、松代の方々の特徴ですか。


香山:メンバーの中に非常にすぐれた編集者がいまして、その方にお願いしてます。冊子化するというだけでなくて、売れる状態にしてくれる。まちづくりNPO は資金源がなかなか厳しいんで、本を出版をして販売することによって資金を作っていくというような形がとれている。


福川:あっ、本は収益になってるんですか。


香山:収益事業の一環です。長野市の場合には、補助金で冊子を作るっていうのもありなんです。活動記録とか、それは販売してもいいよっていうふうになっている。収益をあげなさい、その代わり、3年間だけ補助を出すけども、あとはもう自分たちでやりなさいというような考え方です。イベントだけで補助金を使ってしまえば、イベントが終わっちゃえば補助金も終わっちゃいますけども、本を作ればですね、後の資金に繋がってきます、今まで、必ず本を作るっていうのをやってきて、もう30冊ぐらいになっていると思いますね。まち歩きの本は、6地区あるんで、それぞれの町単位で、まち歩き、お寺めぐり、武家屋敷の門、庭を散策する冊子とかをつくっています。


山本:この20年誌も見返しがすごく綺麗です。


香山:編集者の方に結構こだわりがあってですね、冊子の見返しには江戸時代の町を歩く町人の姿が描かれていて、裏表紙には信州松代夢空間っていう詩を書いていただいています。「いつも、あなたのとなりにある。小さな旅へようこそ」って始まる、とても感動的な詩です。


福川:いやいや、実に人材豊富ですね。ぼくは、信州が教育県であるということが影響しているのかと思っていました。


香山:教育県というのは、実態はそんなに威張れるようなものではないんです。だけど真面目にコツコツ積み上げてくっていうことに関しては、割とそういう特色はあるかと思います。きちっと記録に残すことで、地域の方々の理解を得ていきます。口で言ってもなかなか伝わらないので。冊子化していくことで、読んでいただいて、なるほどなと理解してくれる人が増えていく。やっぱり地道に努力してるってことは必要だなって感じてます。


福川:毎年一冊は出すっていうノルマを自らに課してるんですね。


香山:そうですね。今年は、今昔写真展というのを作っています。3月までにはできる予定です。七、八十年くらい前の明治・大正・昭和の写真を、今日の写真と照らし合わせて、どう町が変わったかということがわかる冊子です。写真は、地元から募集して編集してるところです。すごく魅力ある写真集になります。これも1000円で売る予定です。


福川:ネタが尽きないですね。


香山:確かにネタは尽きないですね。松代は、先ほど中村さんもおっしゃったけど、地域が小さい、そんな大きな人口規模じゃないんですね。中学校は1校だけ、小学校は6校ありますけど。真田十万石の城下町という、ひとつのコンセプトというか背景があって、わりと地域がまとまりやすい、会議所と住民、自治協議会、市役所支所、それからNPO夢空間、またあの文化財ボランティアの会とかですね、いろんなグループがありますが、けっこう連携がとれている。


(やれることは臆せず実行)

福川:20年誌の、最初の文章の締めくくりのところにとても感心しました。とにかくに参加してる方一人ひとりが全部主役であると。その人たちが、いろんな活動を実行していくわけだけど、そこに「やれることは臆せず実行していきます」という一文があります。これは夢空間の基本的な考え方を示してるんじゃないかと思った。正しいですか。


香山:ありがとうございます。住民一人ひとりはですね、専門家じゃなくてもものすごく力持ってると思うんですよ。ところがその力が発揮できないっていうか、発揮できる場所が少ないんですよね、意外と。夢空間には、いろんな活動をされ、いろんな関心持ってる人が多様に来ているので、一人ひとりをいかに輝かせるかというのが私の役割かなと思っています。何かひとつ、たとえばチームを任せて、そこで成果あげたらその人に光を当てる、というような形を繰り返す。人には成長する魂みたいなのがあって、どんどんどんどん成長していく。私は当初は事務局長だったんで、裏方に回って、外から応援するという役割でやってたんです。ところが、初代理事長さんが亡くなってやむなく前面に出ちゃったんですけども、本当は、裏方に徹していきたいなと思っていました。


福川:組織を運営では、往々にして、いろんなアイディアに対して、やるかやらないかっていうあたりで心配の方が先だって、必ずしも全部が芽が吹いていかないってことがあると思うんですけれども。この「臆せずして実行する」といのは、提案された方の意欲を無にしないで、皆で助けていくというふうに理解してよろしいですね。


香山:おっしゃるとおりです。小さい町だと、何かやろうと思うと潰されちゃうんですよね、まわりから。それはないなと。だからもう遠慮したんじゃ駄目だよと。やろうと思ったら、やりたいと思ったらやろうよ、それをみんなで応援するからという形でやってったきた。そしたら何かできちゃった。

 私も若い頃はまわりから潰されちゃったことがあります、何やってんだって言われて。だから、やりたい人がやりたいことをやれるように雰囲気を変えていかなきゃ駄目だと思った。特に城下町は、そういう何とか圧力みたいなのがあるんです。今の日本の空気と同じような形で、それでつぶされちゃうと、思いが形になりません。


福川:実は、松代で町並みゼミを開いていただこうと思いたったとき、山本事務局長がお願いにあがったと思うんですけど、その時も香山さんは否定的なことは一切おっしゃらなくて、どうやったら実行できるかということを考えて、すぐに行動に移されたというふうに伺ってます。


香山:せっかくいただいたチャンスを、いや、できませんって断ってしまうってのはあまりにもったいないなと思ったし、逆に言うと、そんな力量もないのに受けちゃっていいのかなっていうのはすごくありました。全国のそれぞれの皆さんが素晴らしい取り組みされてる中で、我々みたいな素人集団がコツコツ地道にやってる活動が皆さんの参考になると思えなかった。


福川;ご謙遜を。


香山:今までの取り組みの中で行政との繋がりができていたことが大きかった。副市長さんにいろいろ知恵を授けてもらい、県も巻き込んで支援を得られた。我々としては非常に荷の重い大会でした。でも、結果的にはやってよかったなと思いました。


福川:はい。とても思い出深いゼミで、ありがとうございました


山本;おかげで、新潟県の町並みネットワークを見ていただいて、信州まちなみネットワークもできました。


香山:そうですね、あれは松代で全国町ゼミを開催する前の年に、直江津で町並み連盟の理事会と同時に開催された、新潟の町並みネットワークの大会にパネラーとして呼んでいただいたときに、新潟ではこんなにみんな頑張っているのに、長野にはそういうのはないなということで、動きました。町並みゼミの支援を県や市にお願いした時に、長野県のネットワークを作りますと約束した。町並みゼミととゆかりのある太田副知事が非常に熱心にバックアップしてくれて結成に至りました。


山本:太田知事は、県の職員だったときに妻籠の保存にかかわられたんですよね。


香山:その当時、全国町並みゼミも2、3回参加されてたとうかがっています。信州まちなみネットワークのほうは、2020年に松代で第1回の大会を開き。今年(2021年)は小諸で行いました。来年は、太田副知事が市長になった安曇野で開催します。


齋藤:松代には、これまで3、4回うかがっています。行くたびにさっき話題に出ていた印刷物を何冊か買ってきます。臼杵の場合、本をつくると、どうしても原稿の寄せ集めになってしまうのですが、松代は書き手の人材はどうなっていますか。


香山:人材的には、学校の校長先生をやったような方が何人かいらっしゃいます。本を作る時は、編集会議を必ず設けて、その長の人が最終的に文体も含めて取りまとめていく役割をしていただき、統一感のある本に仕上げます。


齋藤:古い町ですと、これまでのいろんな既存団体、観光協会とか、臼杵では歴史関係は臼杵史談会が大正時代から活動してしていて、たとえば今、城泊の事業を行おうとしていますが、新しい組織がなかなか入り込めない。香山さんたちのグループは、本当に自分たちのやりたい部分を、うまくそういう既存団体の中からチョイスしてやっているような感じで非常に羨ましい。私たちがやろうとすると、スポーツだとかやりたくないものもひっつて来ちゃうか、既存団体と戦うかみたいな話になってしまう。


香山:あの、やっぱり発足した当初はすごくまわりに気を使って、動きづらいなって本当にありましたね。ただ、夢空間でなければできないような取り組み、まち歩きをして、地域の中のお宝を探し出して、それを最終的には観光まで持っていくという発掘段階の取り組みについては、夢空間に任せるよみたいな関係ができてるので、うまく住み分けができているかなと思います。

 観光協会については、松代にはありませんでした。逆に、商工会議所、夢空間、住民自治協議会などが発起人になって信州松代観光協会っていうのができまして、今年で3年目になります。事務局を置いて、長野市がそれを支援するという形で観光の窓口が一本化されています。


(あるべき観光を追求)

福川:松代の活動を見ていて、一番すごいなと思うのは、市民や住民の方々が研鑽を積むとか、自己を高めていくということと、外からの方々を迎えていくっていうことが、常にバランスが取れてるっていうか、相乗的な効果をあげていることです。


香山:そうですね、小地域では人材が限られています。内部だけで学習しているとそれ以上にはならないという感じがします。常に外部からいろんな刺激を得て、新しい知見をどんどん入れていかないと、陳腐化してしまいます。外との交流という面では全国町並みゼミが窓口になってます。地元に対して刺激を与えながら、内部の人がそれによって高まるというような循環は常に守っていきたいなっていう感じはしてます。


福川:観光も考えてみればそういうことですよね。


香山:そうですね。もう昔ながらのいわゆる「観光」っていう時代ではないので、文化観光なり体験型観光なり、地域をより深く知ってもらうような観光に切り替えていかなきゃいけない。私たちがやってきたのは、試行錯誤しながら、こんな形の観光のあり方もあるんじゃないかということを常に提案してきたということではないかなって思ってます。


福川:松代まるごと博物館の前には、「観光客300万人プロジェクト」というのがありました。


香山:あれはイケイケドンドンの時代のもので、300万人来たらえらいことになっちゃう。今はむしろ程良い人数でいい、そんなにどんどん来るっていう形じゃなくて、松代の良さを知っていただく体験にじっくり取り組んでいただく、数日滞在していただく、あるいはリピートになっていただくというような形の観光のあり方がいいんじゃないかなと感じますね。それには町並みの良さはきちっと守ってく必要がある。

 ひとつ報告です。松代の旧駅舎は、道路がその上を通ることになってしまって、解体せざる得なくなりました。ただし、文武学校の横にある私有地を市が買い取って、公共のために使うということになりました。1500坪ぐらいあります。どう利用するか、今地元でいろんなことを考えています。


丹羽:お話しありがとうございました。松代のことを思い出しながら伺っていました。松代は関西からは行きにくくて、町並みゼミがなかったらうかがう機会がなかった。町家と比べると武家屋敷は空間そのものが大きいので、本当にいろいろ大変なんだろうなと思いながら伺っていました。

 今日は、活動のあれこれをうかがっていて、もう反省することしきりで、いつも以上に反省しております。とくに、冊子が資金源になるっていうのはもう全然、思ってもみなかった。私達は報告者のお金をどっから捻出しようっていつも思っているばかりで、何かちゃんとできる方法を考えたいと思います。


福川:町家も含めてなさってるでしょ。武家屋敷だけでなく。


香山:ええ、町家の方も。空き家・空き店舗がかなり増えてきているので、毎年1ヶ所くらいずつでも何か活用できないか、特に30代から40代くらいの人たちと手を組んで、そんなに大きなお金かけなくても活用することをやりたいと、いうことで取り組んでるとこです。


(町並み保存はSDGs)

福川:最後に、憲章の10には、「歴史的町並み保存の問題は、すでに理念として確立されたことなのではなく、地球規模にまで拡大した環境問題のなかで、つねに位置づけをこころみ、主張を繰返さなくてはならない深刻な課題の一つである」と記されています。地球環境に関する取り組みも最近されてるようですね。


香山:今はSDGsへの取り組みがブームになってますけど、私たちがSGDsに対して何かできるかなって考えたときに、やってきた活動自体がそれそれぞれもうSDGsなんですね。だからことさらにあえて取り組むっていうことでなくて、将来、子供たちが松代に愛着を持って住んでもらう、あるいは新しい人たちも受け入れながら、地球環境にも優しく、心豊かに住めるまち作りみたいな形の中で受けとめていけばいいんかなという感じはしてます。


福川:ですよね。町並み保存じたいが実はSDGsである。そこをちゃんと自覚していることが重要です。


香山:建物を保存ということより、そこに住む人たちの心の問題、環境をより良くしていく、その歴史を学びながら歴史を大切にしていくという、これを育てていくということが私たちの活動なんじゃないかなってことは感じてるところです。


福川:今日はどうもありがとうございました。


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