日本の町並み保存50年:総括と展望 倉敷市の伝統美観条例50周年記念シンポジウムから
2018年は、日本で町並み保存が始まった50周年であった。50年前の4月、日本最初の歴史的町並みを対象とした金沢市伝統環境保存条例が制定された。9月、倉敷市伝統美観条例が制定された。そして11月、妻籠で明治百年記念の保存工事の起工式が執り行われた。
昨年から今年にかけ、それぞれの市町村で50周年を記念したイベントが開催された。妻籠では、2018年2月3日、妻籠宿保存50周年を記念する式典が行われた。同年9月1日には、金沢で景観条例制定50周年記念景観シンポジウムが開催された。そして年が明けた2019年、倉敷で、1月26日と3月30日の二回にわたって伝統美観条例制定50周年を記念するシンポジウムがもたれた。私は、光栄にもこのふたつのシンポジウムで話をする機会をいただいた。私にとっては、町並み保存の現在やあり方について、改めて考えを整理する絶好のチャンスとなった。
1回目は倉敷市と教育委員会が主催する言わば公式の記念行事。問合わせ窓口は文化財保護課で、市外からのゲストとして高山市文化財課の牛丸岳彦さんがパネルディスカッションに加わった(フライヤー)。2回目は、まちづくりシンポジウム実行委員会の主催。問合わせ窓口はまちづくり推進課で、倉敷町家トラストによる(重伝建地区外の)町並み調査の報告や、中心市街地活性化協議会ワーキンググループの路地の調査報告、倉敷市が展開している最近の施策についての紹介ののち、未来の街の姿をどう描くかについてトークセッションが行われた(フライヤー)。1回目は、伝統美観地区または重要伝統的建造物群保存地区(伝美地区とほぼ重なるが少し狭い)に焦点をあて、2回目は保存地区を含む倉敷の歴史的市街地全体のまちづくりがテーマとなった。
倉敷の重伝建地区では、もっかオーバーツーリズムが住民・市民の関心の対象となっている。店先から中庭まで商品で埋め尽くされた土産物店が増え、住民向けの商店が減って大変生活しづらくなっている。この辺の事情は、1回目の中村泰典さんの発言「町家・町並み保存と地域住民」に詳しい(町並み瓦版83号に掲載)。一方、重伝建地区外では、空き家や空き地が増え、高層マンションやホテルが進出・バラ建ちする変化が進行中である。
この倉敷で起きている事態は、わが国の歴史的町並みをめぐる課題そのものである。重伝建地区制度は、町並みを物理的に守るためにはきわめて効果的な制度であるが、その使い方(使われないことを含め)までマネジメントすることは不得手である。伝建地区の指定は、その反射として地区外の野放図な変化の免罪符となりがちである。
図は、発表の中で使った町並みの変化のシミュレーションである。1981年に川越一番街でデザインコードの調査をおこなった際に近角真一さんが作成した。町家は、それぞれが伝統的な建て方に従うことによって、通りの景観を形作り、奥の住宅部分を含めた環境を相互に保障しあっている(I)。しかし、異なる原理に基づく建物が侵入すると、たとえ小さな建物のでも大きな変化の引き金になっていく(II)。当時の川越では、この2番目の変化が起きつつあった。放置すると3番目の変化を招来する、今のうちに手を打たないと「地獄」に落ちるぞということを示した図である(事実、大きなマンションがすぐそばまで迫っていた)。川越の町家と町並みに即して描かれているが、ほかの町並みでも基本は変わらない。川越では、この後町並み委員会の活動がはじまり(1986)、さらに重伝建地区になることで(1999)、IIIへの変化は食い止められた。逆に地区外では、そのまま変化が進行した。
倉敷も全く同じである。50年前に伝美地区を設定した倉敷では、地区内ではほぼIの段階で変化が止まった。しかし、地区外ではIII〜IVへの変化が進行したのである。そして現在の問題は、①I〜IIにとどまることに成功しても、その内実を守るためには一段の努力が必要なこと、②地区外のIII〜IVへの変化を放置するわけにはいかないということなのだ。
以下、2回のシンポジウムで言わんとしたことの要点を述べよう。
*当日のスライドに説明をつけた資料が下記からダウンロードできます。ぜひご覧ください。
「町並みの、何を・なぜ・どのように保存するのか」
1回目のシンポジウムの発表では「町並みの、何を・なぜ・どのように保存するのか?」をテーマにした。第一回町並みゼミで講演した稲垣栄三先生が繰り返し自問されていた問いである。
町並み保存は「外観さえ守れば中は自由」という考え方で現代との折り合いをつけようとしてきた。たとえば、昭和49年度にまとめられた『倉敷町並保存調査報告』は、「建築物の保存・修景の原則と方法」として「3段階による方法」をかかげ、「道路からみえる立面のみを復原するのが適当とするもの。この場合、内部は現代生活その他に適応するように自由に改造して良い」「道路に面する外観のみが保全対象となる」などの保存の段階を示している。「何を?=歴史的な外観、なぜ?=美観を守るため、どのように?=中は自由に」と整理される。しかし、本当にそれで解答になっているのだろうかというのが、稲垣先生の問いである。
この問いを解くにはC. アレキサンダーの次の言葉が手がかりとなるだろう:
美しい町を見ると、いつも、それらが有機的であるという印象にとらわれる。おのおのの町は、それぞれ固有の、全体性を保つ法則のもとで、ひとつの全体として成長してきた...私たちは、この全体性を、大きなスケールだけでなく、あらゆる細部に感じ取ることができる:レストランに、歩道に、住宅・店舗・市場・道路・公園・庭園そして壁に。バルコニーや装飾にすら。
「有機的」とは、「有機体のように多くの部分が集まって一つの全体を構成し,その各部分が密接に結びついて互いに影響を及ぼし合っているさま」(スーパー大辞林)だ。私たちは、地形を含めた都市の構造から建築の細部に至るまで、各部分が密接に結びつき、全体性が保たれているときに美しさを感じるのである。歴史的な町並みは、個別の建設行為が無意識のうちに「全体性を保つ法則」に従い、美しい全体をつくるというプロセスの中で成長し、美しい町並みを形成してきた。それはあたかも、遺伝子に導かれ有機体を成長させていく細胞のようであったと思われる。ただし同じことを繰り返していたのではない。人々はそれぞれの行為をたえず工夫し・改善し、時にはデザイナーも参加し、全体としての成長へ参加してきた。スライドのサブタイトルの背景に用いた三重県庄野宿の空撮は、その見事な結果を示している。
「何を保存するのか?」への解答は、このような「都市構造から建物の細部に至るまで、美しい全体をつくりだすシステム」となるだろう。もちろんシステムがつくりだした成果(=町並み)も大切にされなければならない。ただし「外観」だけではない。
とはいっても、近代以降、個別の建設行為が無意識のうちに「全体性を保つ法則」に従うシステムは崩れている。都市や建築は、調査や操作の対象となり、都市計画や建築基準法のルールが組み立てられた。伝建地区のルールもその延長線上にある。しかしそれらは到底、かつての「全体性を保つ法則」のレベルに及んでいない。
したがって私たちの使命は、近代の方法で(科学的な方法で)「全体性を保つ法則」を見出し、意識的にそれを実践するシステムを再獲得していくことである。
発表の後半は、「全体性を保つ法則」の主要部分となる町家と町並みに焦点を当ててこれまでの知見を整理・紹介した。地域ごとに成長してきた町家が、一定のパタンに従うことで、どのような全体(町並み)を形作るか、「町家が並ぶことで生まれる効果」を四項目あげた。それは「なぜ、町並み保存か?」への解答であり、パタンは「全体性を保つ法則」の主要な要素となる。具体的には、資料を見てほしい。
「どのように?」は、こうして見出された「全体性を保つ法則」(=パタン)をコミュニティの人々で共有し、実践していくシステムを組み立てることである。先行する実践例として川越一番街の町並み委員会を紹介した。住民の協定で発足した同委員会は、67のパタンを集めた「川越一番街町づくり規範」を規準に提出されたプロジェクトを審査、町並みを住民自身がマネージメントするという活動を30年以上続けてきた。ただし、自動車の問題や近年のオーバーツーリズムには効果的な手を打つことはできていない。しかし、原則を共有し、表明し、討議の場をもつことはそれ自体望ましい。
「歴史を生かし、まちの中心を蘇らせる:まちなかの再生:何を・なぜ・どのように再生するのか」
2回目のシンポジウムのテーマは、重伝建地区外も含めた歴史的地区のまちづくりである。フライヤーの裏面に、町家トラストが調べた、伝美地区外の町家の分布図が載っている。分布は、はほぼ戦前までに市街化した区域に広がる。
発表のテーマを「歴史を生かし、まちの中心を蘇らせる:まちなかの再生:何を・なぜ・どのように再生するのか」とした。「歴史を生かし、まちの中心を蘇らせる」は、昨年出版した『〈まちなか〉からはじまる地方創生:クリエイティブ・タウンの理論と実践』(岩波書店)に巻かれた帯のキャッチコピーを少し短くした(オリジナルは「歴史を生かし、まちの中心から地方を蘇らせる」)。
この本では、地域経済の活性化について、これまでの工場を誘致する産業都市モデルに代わって、地域のライフスタイルをまちなかで産業化する「ライフスタイル産業革命」を、3ポイントアプローチによって実現することを主張した。3ポイントとは、デザイン、ビジネス、スキーム。まちなかを、①その歴史的な都市組織(Urban Fabric)を受け継ぐことをポリシーとして(デザイン)、②住民・市民のまちづくり会社がディベロッパーとなって再生し(スキーム)、③そこにライフスタイルを守り、育み、発信するビジネスを起こす(生活サービス産業を集積する)というシナリオを描いた。倉敷のまちなかでは、その実践が進んでおり、まさにモデルである。
発表では、①デザインの事例として、石巻のまちなか復興における歴史的な都市構造を踏まえたデザインの考え方を、②ビジネスの事例として、高松丸亀町商店街の再開発ビルの二階に設けたライフスタイルショップ「まちのシューレ963」をとりあげた。そして③スキームとして、「変化のプロセス」の段階に対応させて3つの事例をとりあげた。
「変化のプロセス」を図のように考えた。先に見たように、倉敷の伝美地区外は「変化のシミュレーション」のIII〜IVの段階へ進んでいる。図は「変化のシミュレーション」と同時に作成された「変化のプロセス」を、今回の発表に合わせ少し修正したものである。
第Ⅰ段階では、原型としての町家が、①店を閉じてしもたや(仕舞多屋)になる、②看板を回す、③店舗部分を建て替えるなどへ変化する。
第Ⅱ段階では、ある町家は鉛筆ビルに建て替えられ、ある町家は取り壊されて駐車場に変わる。
第Ⅲ段階では、取り壊された空地が連なって大きな敷地が生まれる。地上げで意図的に大きくすることも容易となり、マンションも可能になる。
第Ⅳ段階では、しもたやとなった町家が、郊外風の住宅に建て替えられたり、ミニ開発されたり、マンションが建ったり、大規模な駐車場が生まれたりする。
これら段階ごとに、どのようなスキームができるのか事例をあてはめてみた。
重伝建地区の外側では、各段階の敷地が混じりあっている。第Ⅰ段階の町家がほぼそのまま維持されている敷地では、それを保存・活用する手立てが必要になる。重伝建地区と異なり多くの場合、これら町家は点在しているので、「点在する伝統町家を保存・活用する」仕組みをつくることが対応策になる。事例として、2017年に、住民・市民の提案で制定された京都市の京町家の保存と継承に関する条例をとりあげた。
町家の改造や建て替えが進行している第Ⅱ段階や第Ⅲ段階では、「建物のデザインを誘導する」仕組みが必要になる。事例として、第一回に引き続き、川越の町づくり規範と町並み委員会を取り上げた。川越一番街は重伝建地区であるが、第Ⅱ段階へ進んでおり、歴史的な建物(特定物件)は全区画の半数以下である。歴史的な建物を保存するとともに、新しい建物をどのようにコントロールするかが課題である。
変化がさらに一歩進んで、空地が拡大し(第Ⅳ段階)、さまざまな建物が混在する状況になると外科的な手術が必要になる。空き地を埋め、マンションに代わる現代町家を工夫し、虫食い状になった街区や町並みを修復(リハビリ)するプロジェクトを起こすことが対応策となるだろう。事例として、現在進行中の長浜市元浜地区の市街地再開発事業をとりあげた。長浜のまちなかに1968年に建築された4階建ての寄合百貨店を建て替え、黒壁ガラス館に依拠してきた長浜の魅力をアップデートすることを主目的にするプロジェクトだが、施行区域内にある町家やもと銀行など歴史的建物7棟をすべて保存・修復することに成功した。オープンは来年初夏である。
制度上、伝建地区外が放置されてきたわけではない。歴史的地区全体をカバーする制度としては歴史まちづくり法(地域における歴史的風致の維持・向上に関する法律)が知られる。ただし伝建地区外では、際立った文化財以外は対象になりにくい。たとえば、長浜の7棟は、再開発事業における存置の要件として、文化財的価値があるという行政のお墨付きをもらえず、別の要件に拠らざるをえなかった。川越の鶴川座は、風致維持向上計画のリストに載っているにもかかわらず、取り壊された。
伝建地区外に独自の制度を用意している自治体も少なくない。たとえば金沢では1994年以来「こまちなみ保存条例」を設けている。倉敷では、市のまちづくり基金が伝建地区内外を問わず活用できる。中心市街地活性化基本計画に基づく国庫補助を得たプロジェクトも積極的に取り組まれている。
歴史的地区全体への対応が不十分であることは否めない。もっと組織的・効果的な対応がとれるように、市民・住民が行政を動かしていく必要がある。
最後に、二回のシンポジウムで発表した内容を六項目の提案にまとめた。
倉敷まちなかの将来のビジョン[歴史を生かし、まちの中心を蘇らせる]を、できるかぎり多くの市民と共有する
点在する町家等の保存と継承に関する条例の制定をめざし、まちなかの現状を総点検、伝統的建物の台帳を整備する
町家トラストやまちづくり会社の、歴史的な建物の保存・活用をすすめる事業をいっそう強力に展開し、歴史的な建物や地区の価値を高めていく
安易な開発や保存は市場価値をあげることにならない。今まで以上に、歴史的建物や町並みの本質的な意味・仕組みを研究し・学び・共有し、確かな修理・修復・修景の研鑽にはげみ、倉敷ルールを合意し実践する
「観光は外からの再評価」という原点を確認し、住民が誇りともてなしの心を持てるまちづくりを進める。①住民の五感に違和感をもたらさないよう、コミュニティのルールを定める、②ライフスタイルを守り・育み・発信する生活文化産業を起こし、市民がまちなかに住む魅力を高める
モデル地区を選び、空き地を埋め、マンションに代わる現代町家を工夫し、虫食い状になった街区や町並みを修復(リハビリ)するための研究をすすめる
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私たちは、第40回名古屋・有松ゼミで「町並みは私たちが守る」と宣言し、次の10年へ出発した。とはいえ、制度は私たちが活動するためのインフラとして不可欠である。歴史的地区全体を視野に入れた制度の充実を、みなさんとともに考えたい。